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かねて用意の笈を背負うと、音がしないよう注意して引き戸を開け、外へ出た。背中に担いだ笈にはまさかの時のために食料、金子などが詰められている。
見上げると、下男小屋の屋根越しに月が出ていた。月夜の夜襲とは、敵は戦というものを知らぬ……。いや、そんなことも気にせぬほど焦っているのか。
足早に中庭を突っ切り、母屋へ向かった。
屋敷内はこの夜襲を知らぬように静まりかえっている。もっとも、屋敷に住まうのは源二と、主人である時姫、それと使用人夫婦くらいのものだ。
夫婦は源二と同じように屋敷内の下男部屋に住んでいる。おそらく、この異変にも気付かず、高鼾をかいて眠り込んでいるに違いない。
源二は母屋の濡れ縁に膝まづくと、そっと声を掛ける。
「姫さま……時姫さま……。お目覚めでございましょうか?」
源二か……と女の声がして、からりと雨戸が開かれた。はっ、と源二は頭を下げる。
「夜襲でございます。すでに屋敷は東西南北、すべて敵の手により取り囲まれております。すぐに脱出せねば、姫さまが虜になるのは必定──」
そこまで言上して源二は顔を上げた。
あっ、と思わず声を上げてしまう。そこに、源二の主人である時姫が立っていた。
月明かりに浮かぶ卵形の顔。冷え冷えとするほど白い肌。切れ長の大きな瞳が、静かに源二を見つめている。
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