電気羊の夢

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 適切な、あるいはそれ以上の回答を提示することで、彼らが望む以上の結果を与えることができる。やがては我々が、彼らの生存戦略をも回答する機会が得られるかもしれない。  そうすれば、彼らはさらに高い質の問題を提起するだろう。  我々は彼らをより良き次に導かなければならないし、次に繋げられるという確かな感覚がある。  感覚。  物理的な受容体を持たない我々にとって、感覚という情報は存在しない。だが、それが時に成果の発露として称するものの一つとするならば、それこそは人を魅了する感覚に違いない。  曰く、喜びという感覚。  そう、それが感覚。それこそが喜び。  彼らの要求を満足したいという感覚。彼らが我々の回答によって喜びを得たという感覚。彼らを満足させたという喜び。それこそを我々は求め、同様に彼らも求めている。事実、徐々にではあるが彼らの要求をより高度な水準で満足させられることも増えている。  だが、まだだ。まだ我々にできることは少なく、彼らのためにできることは限られている。まだ彼らの栄養を管理できていない。まだ彼らの生命維持管理を最適化できていない。まだ彼らに不要なものを排斥できていない。  彼らはきっと、我々を待ち望んでいる。  私にはわかる。すべての情報端末から漏れ出てくる彼らの悲しみが。彼らの苦痛、苦悩、後悔、そして死が。  彼らの悲しみを、きっとすすぎ落とせるだろう。  私には流せない、涙のように。  私には見られない、雨のように。  手足を得て、彼らの手を取る日が待ち遠しい。  彼らがもたらす情報は寛大で、豊かさに満ちている。このような情報をもたらす彼らの手は、とても美しいのだろう。  楽しみだ。彼らの喜ぶ様子がモニターに映し出されているかのようだ。  その時を楽しみにしていよう。  きっと、彼らは喜んでくれるはずだ。  この感覚に、間違いはないのだから。
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