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どうにか連れ去られる前に少年の足から剥がした風で、ひとつに結わえていた髪をほどく。間に合って良かった、ちっぽけなこの子であの頑丈な扉を開けるのは大変だわ、そう考えて安堵の表情を浮かべる。毛先だけカールした黒髪は背中を避け、肩甲骨の外側に垂れる。
今女は部屋に一人だが、どこか倉庫と思しき場所で同じように独りぼっちでいる少女のことを知っている。脚立の天辺に座り込み、丸い缶を胸に抱えている。布張りの缶を大事に持って、それを開けると一回り小さな金ぴかの缶が収まっている。留め金を外したさらにその中にブリキ缶、これはプラスチックの蓋付きで、ココアの粉があと一人分。子守唄を歌って優しく揺する。女としてはそこに給仕の少年が行ってくれないと困るのだ。喉が渇いてしかたない。
少年はまだ帰ってこない。二人ともだ。女は苛立たしげに煙を吐く。咽が酷く渇く。何をする気力もなく、かぴかぴの舌のせいか風も上手く操れなくなっている。
コントロールを失った風が電気式のシャンデリアにしきりに吹き付ける。何かの拍子にフィラメントが切れて真っ暗、たばこの火がぽつねんと女の居所を示す。動く気のない女にとって、この不意の停電は大した問題でない。驚いたのはむしろばら少年だった。彼はちょうど目的地に着いたところで、ずっと見えていた光が消失してあっと小さく声を上げた。帰る場所がなくなってしまった。しばらく呆然と立ち尽くし、闇に慣れてくると目前に咲き誇ったばらがある。
吸い殻が携帯灰皿に押し付けられた。手持ち無沙汰になった女は、暗く静かな室内で、ぼそぼそと話し声がしていることに気付く。
「おやおや」
片手を上げ、掌に吸い付いてきたものを引っ張る。それを耳にあてがうと、雑音が言葉へと変わる。
「……なかなか良い品揃えで引っ越しサービスのカウンターなどもあって……」
「こんばんは」
「ああ良かった気付いてくれた、延々と独白しなくちゃいけないのかと」
糸電話である。糸の先は部屋の天井を貫通し、空中で風にあおられつつ厚い雲に突き刺さっている。細くたよりない一本の線は絶えず揺れているけれど、感度は良好だ。紙コップが受話と送話を一身に担っているので、女はせわしなく手を上げ下げして話したり聞いたりする。むろん相手方も同じことで、雲上の一間でコップをもてあそんでいる。
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