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「なんてこと」
電話の糸を手すり代わりに歩いていた女は、すっとんきょうな声を上げて立ち止まった。いつの間にケープから抜け出してしまった風が、地上に筋をつけて吹いているではないか。たぐるように宙で手を操って戻って来るよう念じるけれど、ちょっとも経たない内にまた、なんてこと、と呟いた。
砂漠を少年が行く。二人の少年は肩を並べて談笑している。屋敷にいた時、タキシード君とばら少年は仲の良さそうな素振りをみせたことなどなかったが、さざめく二人の通った後にはばらが咲き乱れる。砂に根付いた花々は朝日の兆候に、腐る寸前の最も完成した姿へと成熟していく。かつて女のものであった風は、少年たちの長い影や増殖するばらを追いかけているのだった。
「どうしてこうなったのかしら?」
赤いマニキュアを塗った爪を無意識に噛む。いよいよ太陽が地平線に現れようとしている。そちらを直視したら一時的に目が潰れた。
屋敷の中庭に砂漠の砂が飛来する。女の風はケープに収まっている。時たま砂を散らすために軽く吹く。中央に花を生けた円卓を囲む女とばら少年に、熱い飲み物が供される。表面で小さな気泡を弾けさす濃厚なチョコレートにすぐには手を出さず、香りだけ楽しむ。額に汗の玉を浮かべた少年はその女を畏怖と敬慕の表情で見つめ、テーブルの下で掻き傷だらけの指をさすっている。給仕の少年は立ったまま自分用に持ってきたソーダを飲み干し、二人に聞こえないようこっそりげっぷする。早朝に直線に並んでいたばらは、真昼になって彼女たちを守るため丸い植え込みに姿を変えている。花自体の時間は巻き戻り、つぼみや開きかけのものが多い。子守の任から解放された少女は庭の隅にうずくまって一人遊んでいる。女が哀れんで呼び掛けると、倉庫暮らしが長すぎてこの方が落ち着くのだと言った。
雷鼓の音がして、女はまた階段を歩いていた。下界を移動中の裏切り者たちはある地点で女の道から分岐したらしく、斜め後ろで点になっている。まだ明けきらない夜はしかしかなり太陽に追いやられ、稲妻が色褪せて見える。
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