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ふと路傍の屋台に目が留まった。太鼓の音はここの軒先に吊るされたおもちゃがひとりでに鳴ったものらしい。臨時通路に一日限りの出店が出るのはよくあることで、これもその類いなのだろう、簡易テントの足にキャスターがついている。女はそういったことを近付きながら観察し、そのまま通り過ぎようとして、ワゴンに積まれた菓子箱を手に取った。まんじゅうとだけ書かれた簡素な包装は褪せた色の親子縞で、裏面に賞味期限が印字されている。屋台の中から小股に出て来た老婆が愛想良く、
「手みやげにいかがでしょ、この先店は出ておりませぬ」
「そう、手みやげ、良いかもしれない」
女はいつも風任せで買い物などしたことがなかった。老婆に値段を言われて初めて気が付き、体中あちこち探ってみたけれど当然ながら持ち合わせもなく、思案顔になる。ひらめきは程なく訪れて、まんじゅうを持ったまま下を指差す。
「あそこに大きなお屋敷があるの、知っているでしょう。あれと交換でどう」
「領主さまの御殿のことですか、お顔をちらと拝見したことがありますがね、あんたじゃなかったよ」
「あれは私の城よ」
不機嫌に主張する。部屋の内装や暮らしぶりについて事細かに説明もしたが老婆は頑として譲らず、城が領主以外の手に渡ったことはないのだと言い張った。口論は平行線で、女は残っていた煙草を吸おうとして取り落とした。階段をどこまでも転げ落ちていく様をぼんやり眺める。最後の一本だったのだ。
溜息を吐いた女の顔は歪み、なかった皺が現れパーツが顔面を自由に移動していた。一呼吸の後それらを難なく元に戻すと、耳から赤い石をもぎ取り、菓子箱の上に置く。数えきれないカット面で朝日を受け止めはね返し、石は赤く発光する。
これで満足でしょう。女は鼻息荒く老婆を睨みつけ、薄笑いを浮かべた老婆はさっと石を手中に収めると、もう女に興味を持たずそそくさと店じまいを始めた。外に出していたワゴンをテントの足に括り付け、床に並べていたものは風呂敷にまとめて背負う。こけにされた女の喉から怒号が飛び出そうになった瞬間、足元の階段が蒸発して消えた。全く一瞬の出来事だったので二人の体はしばらくの間宙に浮かんでいた。足の感覚に違和感を覚えた二人は顔を見合わせ、ゆっくりと俯いた。
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