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2人の大切な日々が始まるはずだった新居を解約し、前に住んでいたマンションの部屋に戻ればよかったが、その部屋には、あまりに彼女の痕跡がありすぎた。 そこを解約して引っ越したのは、彼女の実家からはだいぶ遠い下町の古い単身者向けマンション。 建物に彼女の痕跡はひとつとして見いだせないのに、大樹自身の影のように、彼女はまだ去らない。 この苦しみを、彼女に知らせてやりたい。 このひりつくような痛みを、彼女にも背負わせてやりたい。 疼く渇きを堪えるようにして、大樹は新しくしたベッドから降りた。 ふらつく足取りでキッチンに身を乗り出し、蛇口を開けて、勢いよく飛び出した水に顔を横から突っ込んだ。 激しい水量をすべて飲み干すかのように、音を立てて飲んだ。 顔に弾け飛んだ水滴を手で拭い、蛇口を締めた。 お風呂の自動湯張りボタンを押して、黒い冷蔵庫を開けた。 簡単に食べられるようなものは何もなく、ドア脇に並んだ炭酸飲料と清涼飲料水とビールばかりだ。 乱暴に冷蔵庫を締め、それからブラインドも開けないまま、テレビをつけた。 土曜日の昼過ぎのチャンネルは、旅番組やグルメ、バラエティ番組ばかりだ。 食品メーカー勤務である以上、地方の旅番組やグルメ番組は自ずと敏感になる。 なんとなくチャンネルを変えていると、ふいにナレーターの高いトーンが耳に飛び込んだ。     
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