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月影
座して、一呼吸。
右から打ちかかってくる相手の手首を狙い、膝を立てながら斬りつける。敵が後退る。立ち上がり追撃、真っ直ぐ斬り下ろす――血を払い、納刀。
「少し力が入ったね」
老先生の穏やかな声。そのとおりだった。小手に斬りつけてから、刀をかざすように追撃に移る一瞬。一年前、雨の路上で取り戻した記憶に気を取られてしまったのだ。
前世の状況とはまるで違う。足元は居合道場の、よく拭かれた木の床。それを踏む私の足袋は白く乾いている。刀を構えるのは自分自身で、その刃は亜鉛合金の模造刀だ。
けれど、あの刀の月にかざされた姿が浮かんだ途端、呆けてしまった。すぐ我に返ったが、動揺が太刀筋に出たようだ。
満足できない一本だった。でも、終了時間だ。今日は一対一の指導の日。この後も別の人が練習に来る。
終礼のあと、先生に呼び止められた。
「八雲さん。さっきの『月影』、上達していたぞ。振りかぶると切っ先が下がる癖が、直っていた。正座の技も随分覚えたな」
「でも肝心な抜きつけが安定しなくて」
「自覚があるのは良いね。左手の鞘引きをしっかりとな。その刀には慣れたかい」
「はい、バランスも良いです」
「良かった。特別な刀だものな」
先生とは、刀の工房で知り合った。
記憶を取り戻した夜、胸にできた空洞の冷たさは、数か月で私に音を上げさせた。それで早々に見出していた慰めに縋るべく訪れた工房が、先生の行きつけだったのだ。
この工房の模造刀は居合に使うだけの強度がある、やってみないかという誘いに、私は頷いた。
刀を買うなら、扱いを学びたいと思った。あの刀を探すため、情報網を広げようという下心もあったが。
半ば不純な動機で始めたものの、道場の刀を借りて習ううちに、やりがいを感じた。型を通して、刃で狙うべき急所、肉と骨が守る命の、曝け出される所を知る。敵を殺める手順に、逆に生を考えさせられるのが、奥深い。
掃除はいいと言う先生に挨拶をし、扉の前で一礼して、退室した。
更衣室で道着を着替え、刀を拭いて、ケースに入れる。
この刀――特注した模造刀が届いたのは、先月のこと。記憶の中の刀よりは細く、切っ先が小さい。研がれていない刃も刃文も、真剣とは違う。それでも充分だった。
未だ手がかりもない探し物の、面影だけでも目の前にあると、心が安らぐ。仕事の合間に恋人の写真を眺める同僚の気持ちが、分かった気がした。
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