紫電の記憶

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紫電の記憶

 思えば、雨夜にハンドルを握るのは初めてだった。(しの)突く雨で、視界が悪い。道端の長い草や遠い標識の不明瞭な影に、歩行者かもと一々身構えてしまう。アクセルから逃げたがる私の足を鞭打つように、苛立ちを含んだ後続車のライトが、ミラーの中で揺れる。  ……被害妄想に反して、丸い光は一定の大きさを保ち続けた。慎重に、距離を取ってくれている。若葉マークへの配慮だろう。理解すると余計に、焦りが募った。社会人になって半月、やっと自宅と会社の往復に慣れてきたものの、運転への苦手意識は未だ根強い。    この道の様相もいけない。竹林に気圧(けお)されながら通るいつもの帰路だが、普段の倍も閉塞感がある。雨脚の鉄柵が立ち並ぶせいだ。その下では、地に落ちたライトと街灯の無表情な光が、無残に()き混ぜられている。春だというのに、ぞくりとした。濡れた路面の輝きが、妙に剣呑(けんのん)だ。  この光沢に、憶えがある。  何だろう? 頭の奥に栓が刺さっている。しかし考える余裕がない。雨音が激しさを増している。  一つ交差点を過ぎた所で、周りが少し暗くなった。ミラーに映るライトの動きで、後続車が右折したのが分かる。商店街に続く道だ。  小さなアーケード街には、八百屋に肉屋に魚屋、雑貨屋なんかがある。でももう閉まっている時間だ。午後七時でも営業中なのは、一軒の喫茶店。数少ない食事メニューを思えば、離れて行く車の運転手の、夕食が何かは想像できた。  もう前後にも対向車線にも、走行車はない。緩やかなカーブの先は、魔の巣窟みたいな竹林も途切れる。続くのは左手に溜池を見下ろす直線の道で、暗くても見通しはいい。それで少し、運転の緊張がほぐれた。道路を照らす光の色の変化に気づいたのは、そのお陰だろう。  雨は相変わらずだが、雲の切れ目に、ぬっと満月が顔を出していた。薄い水の膜が凹凸を(なら)すのか、月光に淡く輝く真っ直ぐな道が、一枚の板のようだ。  どこか金属質な、鋭ささえ感じさせる光沢。  ――刃物の、ような。  思い至った途端、頭の奥にあった栓が、内側から吹き飛んだ。(せき)を切ったのは、底知れない深みから溢れ出す、記憶の奔流。  目の前の景色が塗りかえられていく。慌ててブレーキを踏み、道端に停車した。  記憶と呼ぶのを躊躇(ためら)うほど目新しい映像に、飲み込まれる。
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