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「桜子さんですか」  桜子は、相手が気安く自分の名前を呼ぶのに仰天した。その声音に覚えがあったからだ。 「あなた、(かおる)なの?」  桜子がこわごわそう尋ねると、呼ばれた相手は天狗の面を静かに額に乗せた。  その顔を見て、桜子はどっと体の力が抜ける思いだった。 「どうして薫がこんなところにいるの」  薫は、桜子より二つ年下のいとこだった。  元服はもう済ませ、頭頂で()った黒髪を丸く束ねている。色白で鼻筋は高く、面長の薄い眉の下には茶色がかった明るい瞳がのぞいていた。濃紺の装束に身を包んでも全体としてすらりとした体躯(たいく)は、長い手足を持て余して見える。  言葉を交わすのは、年初めの集まり以来だった。 同じ里に住んでいるとはいえ、普段はあまり顔を合わせたりしないのだ。  昔は弟のように可愛がっていたいとこの少年に一瞬本気で(おび)えたことを知ると、湧いた怒りは一気に倍加した。 「どういうつもりなの。そんな格好をして」  薫は桜子から見ても冷静で、どちらかというと大人しい少年だった。あんな殺気にも似た気配をまとわせることができるとは思わなかった。 「桜子さんこそ、どうしてここにいるの。いつもは稽古場の方にいるでしょう」  薫がまったく悪びれずに言うのを聞いて、桜子は語気を強めた。 「私のことはいいの。そっちから先にわけを話してよ」  言いつのると、薫は肩をすくめたようだった。 「宝物殿を監視してたんだ。桜子さんも話を聞いただろう」  桜子は一度言葉を呑み込んだ。 「剣が狙われているっていう話?」  薫はそれに短く頷いた。 「今、剣の守り手の力は閉ざされている。それを誰かに渡すわけにはいかない」  ーー剣の守り手。  それは母のことだと桜子にも分かった。  母は神楽舞を奉納することで、『水神の剣』の守り手になったのだ。
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