母宛の手紙

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母宛の手紙

 一昨年の年末、母が亡くなった。最後の二か月は個室に移り、バイオリニストだった母の気持ちを少しでも和ませようと、ラジカセから終日クラシック音楽を流していた。母は「G線上のアリア」に見送られて旅立った。    季節は巡り一年経ち、暖かくなって来た頃やっと、母の遺品の整理を始めた。ある日、意を決して母が最後の入院の直前まで使っていたバックを手に取った。これの中身を見ることは、母のプライバシーを侵害する気がしてずっとためらっていたのだ。   そっとチャックを開けた。見覚えのある財布、手帳、ペン、老眼鏡。それからキーケース。キーケースの中に鍵が三つ。私達が暮らした家の鍵と、多分隣の祖父の家の鍵。仕事に打ち込む母が不在の時、私はここでご飯を食べさせてもらった。三つ目の鍵……。もしや、祖父の家のポストの鍵かな。あのポストはずっと開かずのポストだ。他には思い当たらない。試してみる気になった。 ……開いた……。  古い広告の類に挟まれて、白い封筒の角が見えた。母宛に本木康子という差出人の名前があった。消印は、一昨年の九月。母が亡くなる三か月前だ。番地が同じなので間違って配達されたのだろう。     ――お母さん、開けるよ。 母宛ての手紙を勝手に開封するのは気が引ける。一応、天国の本当の受取人に断った。 
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