10人が本棚に入れています
本棚に追加
「職場で泣くな。周りの迷惑になる」
「――――」
その小さな肩が強張るのが見て取れる。
「泣くなら、夜にしろ」
マンションのスペアキーを、しっとり湿り気を帯びた手のひらに押し込める。
そして、呆気にとられた彼女を、ほんの一瞬、抱きしめた。
「会社行くの、やだな」
「辞めたら、会える時間が減るよ」
「岩城君が上司なら良かったのに」
詮無き呟きは、こぽり、天井まで浮き上がっては弾けて消えた。
身じろぎして背を向けた砂見に腕を巻き付け、後ろから絡め取るように抱きしめる。行為後、横たわった砂見は汀(みぎわ)に打ち上げられた魚にも似て、ぐったりと無抵抗だった。
肩甲骨と肩甲骨の間の窪みに顔を埋めると、いやがおうでも彼女の匂いが頭の芯にまで浸透し、しびれるような陶酔感に襲われる。そのまま岩城は、背に唇を寄せて、囁くように尋ねた。
「砂見はなんでうちの会社に入ったんだ?」
「ええ?」
「女子で、広告で、営業って、しんどいじゃん?」
「しんどいなんて知らなかったし」
「じゃあ、どうして続けてる?」
「別に」
「別にって」
「広告ギョーカイって響きが良いし。そこで良い人見つけられたらな、とか」
「なんだよ、それ……」
最初のコメントを投稿しよう!