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明かりを消した部屋、流入する透明な暗い水。当然ではあるが、漂う彼女のなめらかな背にも、のびやかな足にも、ひれは見当たらない。だが、彼女の身体に没頭している間中、かつて四六時中、耳にしていた波の音が響いている気がしてならなかった。潮の匂いすら漂ってくる。
黒とも青ともつかぬ海の色。白い波濤。真冬の波間。遥か彼方、ありえないはずの影。
あの日、見たものを、自分はきっと生涯忘れられまい。
ひたひた、ひたひた、打ち寄せる波。
いつの間に、自分は追いつかれてしまったのだろう?
こんなに遠くまで逃げてきたというのに。
眠りに浸食されるおぼろな意識の中、岩城はひとり自問した。
入社丸二年でプレゼンターを任される、というのは中々の有望株らしい。
「岩城のプレゼンって、堂に入ってるよなあ」
「そうすか?」
「なんか淡々としてて、イマドキの若者っちゅーか、落ち着きがあるっちゅーか」
「微妙に矛盾してません?」
「いいんだよ、岩城節なんだよ、それが」
自分のあずかり知らぬところで、名ばかりが横行している。それも広告屋の醍醐味なのか、あるいは業(ごう)なのか。醍醐味なら味わい尽くさねばもったいないし、業ならば背負わねばならない。どちらにせよ縁は切れない。岩城は苦笑した。
「ま、あんだけ気に入ってくれたら、アチラさんもコンペやるなんて言い出さんだろ。これで今期も目標達成、三課に差をつけられるぜ」
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