人魚の嘘

5/30
前へ
/30ページ
次へ
 明かりを消した部屋、流入する透明な暗い水。当然ではあるが、漂う彼女のなめらかな背にも、のびやかな足にも、ひれは見当たらない。だが、彼女の身体に没頭している間中、かつて四六時中、耳にしていた波の音が響いている気がしてならなかった。潮の匂いすら漂ってくる。  黒とも青ともつかぬ海の色。白い波濤。真冬の波間。遥か彼方、ありえないはずの影。  あの日、見たものを、自分はきっと生涯忘れられまい。  ひたひた、ひたひた、打ち寄せる波。  いつの間に、自分は追いつかれてしまったのだろう?  こんなに遠くまで逃げてきたというのに。  眠りに浸食されるおぼろな意識の中、岩城はひとり自問した。  入社丸二年でプレゼンターを任される、というのは中々の有望株らしい。 「岩城のプレゼンって、堂に入ってるよなあ」 「そうすか?」 「なんか淡々としてて、イマドキの若者っちゅーか、落ち着きがあるっちゅーか」 「微妙に矛盾してません?」 「いいんだよ、岩城節なんだよ、それが」  自分のあずかり知らぬところで、名ばかりが横行している。それも広告屋の醍醐味なのか、あるいは業(ごう)なのか。醍醐味なら味わい尽くさねばもったいないし、業ならば背負わねばならない。どちらにせよ縁は切れない。岩城は苦笑した。 「ま、あんだけ気に入ってくれたら、アチラさんもコンペやるなんて言い出さんだろ。これで今期も目標達成、三課に差をつけられるぜ」     
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加