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始まりー3
「この者が飾りの妃か」
「はい、南部の豪族の出で、今宵は彩姫と下名しております」
「顔が見えぬな」
「はい、この者は飾りものでございますゆえ、一宮さまのお目を汚すことはありません」
「そうか」
皇子と官吏の話はそこで途切れた。大袈裟な銅鑼の音と共に広間の大門が開き、それぞれお付きの者が手を引いて席に案内する。
そこで昔ながらの祝詞があげられて一旦式は終わる。この後始まるのは、本当の婚姻式になる。だからここでキサヤの役割は終わったことになる。
案外早くて助かったと内心ほっとして自分に割り当てられた部屋に戻る。
このまま三日、ここで過ごせばこの訳の分らない役目も終わる。
今までついていた女官も宴の用意で忙しいのか、軽食と飲み物を卓上に置くと姿を消した。
「暑かったな」
どこまで寛いでいいのかも分からず暫くかしこまっていたが誰も来る気配が無いのでキサヤはとりあえず頭から被っていた布を取り去った。
自分の顔を見ることも無いなら、なんで美醜にこだわったり、貞操を気にしたりするのか分らない。宮中の習わしなど思いもよらないと卓の上の饅頭を手に取った。
食べようとした刹那、冷たい風を首筋に感じて驚いたキサヤは戸が開いたのを知って慌てて椅子に座りなおす。
「だ、誰ですか?」
聞いたところで誰なのかは分からないと思うものの聞かずにはいられない。緊張するキサヤの前に立っていたのは黒い正装姿の若い男。
「あの、あなたさまは?」
「うん、飾りの姫をちょっと見てみたくなって」
言葉の様子では身分の高い貴族の子弟に違いない。黒の艶のある上着は確か皇子も着ていたような気がする。それよりは簡略なもののようでもあるが、身分が高いのは一目で分かった。
「わたしの顔をご覧になるのは構いませんが、式が終わるまで私は誰とも会うな、喋るなと言われております」
「ああ、それはよい。それより思ったより歳がいってるな。本来はもっと年少の者が務めると聞いていたのに」
すっと音もなく歩くと若い男はキサヤの顎を掬って顔を近づける。歳は自分より三つは上に見える。釣り目がちの奥二重の眼はなぜか銀色に光っていてすっと通った鼻筋やしまった口元はなかなかの美丈夫だと思った。気品のある顔立ちはやはり、やんごとない育ちに違いない。
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