第1章 消し跡

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第1章 消し跡

風が吹くと涙が出そうになる。なんでかは分からないけど、恐らく目が乾燥する以外のなんらかの所為だろう。 今日はいつもとは違う道を通っていつもの駅へ向かっている。何か気になることが新しくできた日は決まってこうするようにしているんだ。  僕はもう大抵のことは気にならないようになってしまっていた、彼女を除いて。そう彼女についてはいつもなぜか気になってしまう。 むろん彼女と言っても恋人の彼女ではなく、SHEの方の彼女だが。 手前味噌で彼女についての僕の見地を述べておきたい。あくまで、憶測だから憶測として留意しておく程度のことだ。彼女はステキな笑顔の持ち主だ。並大抵の人とは比べようのないくらいステキな笑顔なのだ。作り笑いに見える要素はこれといってなく、”天使のような”という決まり文句は彼女のためにあるようなものとまで錯覚させられる。 陽気な性格で人なじみもよく高すぎず低すぎない聞きほれる声を持っている。 もちろん社交的ではあるのだが、周りの人と話している時に不安のような寂しげな表情を、垣間見せることがある。それが僕の天使の唯一気がかりな点だった。だが、これが今日見つけた気なる点ではない。 そう。今日見つけたものは、傷だ。傷というよりは跡というべきなのだろうか。彼女の手首の上の方に鋭利なもので傷つけたような跡があった。リストカットだ。傷跡は生々しくはあるが、近頃つけられたものではないことは見て分かった。ただ、僕にとって新しいか古いか等ということはどうでもよかった。そこに、彼女の表情や声からは似ても似つかぬくらいの傷が深く淡く刻まれていた事が僕の心に憑りついて離れなかったのだ。  今もそんなことを考えて歩くもんだから、何の変哲もない小石に足を取られてしまった。そして躓いた後にふと顔を上げると、塀の上に一匹の猫がいた。キジトラのいわゆる”野良猫”といわれる奴だ。可愛いなと柄にもなく思いじっと見ていると、右足を引きづっていることに気が付いた。折れているのかな。さっきより興味がわいてより見つめてみると、近頃首輪を外された跡が見える。跡。頭の中である跡とある跡が繋がりかけていた。そう思うと同時に僕は猫に手を伸ばしていた。猫は身じろぎして草むらの中へ飛び行ってしまった。 僕自身、なぜそんなことをしたかは未だに分からない。 分かることはその日、僕の心の風見鶏は向きを変えたという事だ。
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