(三)

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 店に戻ってダメ元だと思いつつ、「いつもに比べてエンジン音が違っているし、アヒルの鳴き声みたいなんです。それに、ブレーキの効きが悪くなってますし…」と主任に車の異常を報告した。 「音だって? お前さんの運転ではうるさいわな。ブレーキ? そんなことは自分の自慢の腕でどうにかしろ。急ブレーキをかけなきゃいいことだし、サイドにしたってギアをローに入れておけば問題ない」と、予想通り相手にしてもらえなかった。 (ケッ、何とまあ調子のいいことを。自分の腕でカバーしろだって。いつも『人間の勘とか腕だとか、そんなものに頼ってはいかん。おかしいと思ったらすぐに報告するように』なんて、いつも言ってるじゃないか)。心内で愚痴りながら、後ろ向きの姿勢で思いっきり舌を出した。  苦笑しながら話を聞いていた事務員の一人が「また叱られたわネ」と声をかけてきた。口を尖らせながら「別に」と答えて「明日の休み、車でスカッとしようかな」と、(借りられるよう、頼んでくれるかな)と目で合図した。元来女性との会話が苦手な彼なのだが、不思議に五歳年上の女性事務員の貴子とは苦にならない。いつも軽口をたたき合っている。 「社長令嬢だよ、仮にも。少しは言葉遣いを考えたら」と岩田が忠告するが、「関係ねえよ、そんなの」と受け合わない彼だ。 「いいわよ。但し、私も連れてってよ。そんな怪訝そうにしなくていいの。私だけじゃなく、もう一人いるの。新入りの真理子ちゃんもよ。一人では恥ずかしいから、三人でのデートをしたいんですって。この、色男が!」  突然のことに何と返事をしていいのかわからず、ただドギマギして口ごもってしまった。 「じゃあ、明日十時に会社の駐車場ね。そういうことで、キマリ!」  一方的に取り仕切られて終わった。自分の行動を他人に仕切られることを極端に嫌う彼だが、今回は違った。自分の決断ではなくても腹が立たない。すでに頭の中では、明日の走るコースを色々と思いめぐらせていた。
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