(三)

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 真理子という娘は、一週間ほど前に入って定時制高校に通っている。定時よりも早い五時に退社し、自転車を駆って通学している。入社初日に自転車の都合が付かず、手の空いていた彼が車で送ることになった。  むっつりとした表情を見せながらの、十分間ほどのデートになった。真理子は「すみません」と少し掠れた声を出し、申し訳なさそうな顔付きを見せた。彼はといえば「仕事の内だから」と不機嫌な声を出しつつも、口元が緩んでいる。  目がくりくりとしていて少し団子鼻のところが彼には可愛く見える。おちょぼ口なところも愛らしく感じる彼だ。親元を離れての集団就職で、今年十六歳になっている。初めの職場では人間関係がうまくいかず、学校の斡旋でこの会社に入ってきた。社長令嬢でもある貴子がお姉さん代わりに何やかやと世話を焼いている。  日曜日、天気はカラリと晴れ渡った。普段ならば昼近くまで白河夜舟のくせに、少し開けておいたカーテンの隙間から差し込んだ太陽の光で、平日よりも早い七時に目が覚めた。足下の壁に貼ってあるカレンダー写真の大きな鉄砲百合がニッコリと微笑みかけている。「良かったね、楽しんでね」と呼びかけられた気がして、浮き浮きとした気分でベッドから飛び起きた。  朝食もそこそこに、約束の十時より一時間も早く会社の駐車場に着いた。毎日使っているからと、週末には必ず洗車をしワックスがけもしている車から「早いね」という声が彼に聞こえてきた。苦笑いを見せる彼で「二度塗りすると色が沈みこんできれいですよ」とガソリンスタンドでアドバイスされたことを思いだし、もう一度ワックスがけをすることにした。その後エンジンオイルの確認をして、車内の掃除も念入りにした。少し離れた場所から改めて車を眺めると、確かにグレーの色が沈み込んだ状態になっている。思わず「渋いぜ」と口にする彼だった。  十時少し前を、最新型の腕時計が指している。彼の自慢の腕時計だ。どうせ買うならやはり良いものをと、セイコー社の高級品を購入した。「どうだい」と見せびらかす彼に対して、眼鏡店で買ったことに対し「どうしてそんなところで」と、会社で散々に馬鹿にされた。
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