辞令交付式

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「秋人。入れ」  扉の奥から冷静な低い声が聞こえた。  式が始まる合図だ。意を決して繊細に彫刻が施された重厚な白い扉をゆっくりと押す。  視界に広がったのはまたしても白い空間だった。しかし、先ほどより遥かに張りつめた空気が漂っている。足元から続く深紅のカーペットの先に、純白な一脚の玉座。そこに可憐に腰掛けるドレス姿の存在こそ、カスミ様だ。  部屋ごと同化してしまいそうなほどに精白な長い白髪を左右に分けられ、ほっそりと際立ったウエストが何とも華奢で、思わず見惚れてしまう。  しかし、立ち止まる事など許されない。何もかも白いこの空間に、異質な存在を放つ黒い軍服の男から鋭い視線を感じる。僕と同じ軍服だが、その上から黒マントを身につけ、右肩に装着された金の紐の本数が僕より一本多い四本。これは男が第一部隊隊長、富彦隊長であることを表している。  立ち止まるな、と視線で訴えかけられる。  この式が始まる前日、僕は細かな式の内容を説明された。式は謁見の間で行われ、カスミ様の前で誓いの言葉を言うだけの、たった数分で終わる式だった。しかもその誓いの言葉も既に決められていて、一日で完全に覚えることを要求された。暗記は苦ではないし、そんなに長くなかったが、誓いの内容があまりにありふれていて当たり障りない内容であったために顔を顰めた。これなら僕が考えてあった誓いの言葉の方が気持ちが伝わる。  扉を開けて入った後、扉を後ろ手で閉める。その際決して背中を見せてはいけない。カスミ様に尊敬の意を示すときは、必ずカスミ様から目を離さず、背いてはいけない。これはインモートランドにおける常識だ。  そして雲のように柔らかいカーペットを一歩ずつ確実に踏みしめる。カスミ様に近づいていると実感すると、自然と胸が張った。  数段の段差の前で足を揃えて止まる。少し上を向くと、そこには画面越しでしか見た事が無かったカスミ様の微笑があった。  あぁ、僕は今、夢を見ているのかもしれない。  生きてきて八百九十一年経つが、あの憧れて止まなかったカスミ様が目の前にあるなんて、数十年前の僕に想像できただろうか。しかもこれから第一部隊員としてカスミ様のお役に立てるという高揚感だけが俺を支配していた。  カスミ様の前に立て膝になり、低く頭を下げた。
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