02 世辞

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02 世辞

02 世辞  弁護士事務所で働く一二三の帰りは遅い。それでも職場が家から近いこともあり、極力、夏樹と食卓を囲える時は帰るようにしている。面倒を見ている夏樹の様子を窺うこともひとつの理由ではあるが、夏樹の作るご飯を食べた方が外食するよりも割安で、飽きない、そして美味しいからでもあった。勿論、出会った当初の夏樹の自暴自棄な、セルフネグレクトとも言える生き方も心配している。学校に通うようになってからは、夕食を一緒にすることは難しくなったが、大人の社会とは一線を画すコミュニティに揉まれているからか、以前よりも感情は豊かになっていた。  「へぇ、変わった子が来たものね」  迎えた翌日の土曜日、一二三は朝ごはんを頬張りながら夏樹から件の転校生についての報告を聞いていた。  「うん。変わった子、でも、素朴と言うか垢抜けてない感じで可愛かったよ」  「ふーん」  鼻先で笑うようにそう頷いた一二三は、「へぇ」と厭らしい笑みを重ねた。  「夏樹が他人のことをそう言ってるの、初めて聞いた気がする」  感心した様子の一二三に茶化されていると思った夏樹は反論した。  「私だってカワイイくらい言うよ」  眉間に小さな皺を刻み、唇をややすぼめて言う夏樹は空になった食器をシンクの水溜まりへと放り投げる。  「で、今日も遅いの?」  エプロンに首を通し、袖を捲りながら一二三に何時もの予定を聞くと、今日は早いと思う、との答えが返ってきた。  「諸々の手続きも一段落したし、今日の夜は一緒かな?」  「じゃぁ、好きなものでも作ってあげようか?」  「ホントに? じゃぁ、どうしよ。何か手の込んだ肉料理が食べたい」  漠然とした注文だったが、以前、気まぐれで作ったローストビーフを各所に使った料理がまた食べたいとか言っていたな、と思い出した夏樹は、レパートリーの中から候補となるメニューを幾つか提案した。  「じゃぁ、それで。ワインと合うと嬉しいかな。知り合いに貰ったのも開けたいし」  「飲めない私に言うな。ま、煮込むときには使うから開けるかも」  今日の献立が決まったところで、逆算して今日の予定を決めていった。アルバイトは休みなので午前中に買い出しして、下拵えをして置いた方が望ましい。料理も残るだろうから、こうアレンジしようと考えていたところで一二三が席を立った。  「もう準備して行くから」  セミロングほどの髪を手慣れた様子結い上げた一二三が髪留めでその塊を固定する。少ない手荷物をまとめ、スーツのジャケットを羽織った一二三は玄関に向かった。  「じゃぁ、行ってきます」  家ではややだらしない姿でも外面は決まっている。絵に描いたようなキャリアウーマンの姿に夏樹も憧れるが、まだまだヒールも履けないようでは大人の女性にはどう足掻いてもなれそうになかった。 颯爽と出社していく一二三を見送った夏樹は、まず朝食の後片付けを済ませると、洗濯機を回しつつ、部屋を軽く掃除した。終わった頃に洗濯機もドラムも止まっており、洗濯物を物干し竿に一通りぶら下げた頃にはちょうど、出掛けるに適当な時間になっていた。  夏樹は、身支度を整えると近所のスーパーに向かった。界隈に行き付けのスーパーは三件ある。冷凍食品ならここ、惣菜を買うならここ、野菜を買うなら、お肉を買うなら、と決めており、よく買うものについては底値も把握していた。今日はお肉がメインなので駅の方、役所の近くのスーパーが目的地だ。自転車に乗ると、荷物の過多でバランスを崩すこともあるので、買いだめの場合は乗らない方が懸命ある。  歩いて二十分ほど、大通りの途中に建つ私立の学校は、当初、一二三に編入を勧められた場所でもあるので複雑な思いが胸中を過るも、今にして思えばやはり普通の学校に行かなくて正解だった。定時制学校に行くとき、たまに目にする制服姿の高校生らを見ると、やはり自分は馴染めない姿しか想像できない。或いは無理をしている滑稽な自分の姿が想像される。一端の青春を味わってみたいと思うこともあったが、一度でも道を踏み外すと、元に戻るのは困難なでしかなかった。  「制服か。やっぱりちょっと憧れるな」  出入りこそ不自由だが、常に開かれた正門の向こうに見えた高校生らにそうこぼした夏樹は、何となく沈んだ気持ちを改めるように前を向いた。目的地のスーパーには定時制の学校でクラスを同じくする楠木が働いている。彼女はシングルマザーで、いわゆるヤンママだ。今では昔の走り屋だった頃の面影はない。早く妊娠、出産を経験したが、相手は蒸発、認知しないままどこかへ行ったと聞く。そんな苦労を感じさせず、またそんな事を臆面もなく話す彼女は夏樹の次に若く、夏樹もそんな姉御気質の楠木を慕っている。行き付けのスーパーでパートに入っている知ったときは驚いたものだ。  スーパーに到着した夏樹は、入り口に貼ってある広告から献立に使えそうなものをピックアップしてから店内を青果、生鮮食品、惣菜、加工品と回っていく。多少、レイアウトの違いはあるが、この並びはほぼどこのスーパーでも共通している。  「あ、お疲れ様です」  そろそろ調味料が尽きそうだと思い、訪れたコーナーの一角で品出しをしている楠木を見つけた夏樹。遠目に見かけたら仕事中だからと遠慮はするが、ここまで近付いていては、逆に無視する方が失礼だった。  「お、夏樹ちゃんじゃん」  ヤンママという時期を過ごしている楠木のフランクな喋り方はやや幼く、全体的に調子が良い。その人懐っこさが心地よくもあるのだが、それ故に楠本が丁寧に話している姿は想像しにくかった。  「何、買い物? 今日も可愛い格好して。憧れるな。私はそういうの似合わなかったから」  「いえ、そんな。ありがとうございます」  世辞でも夏樹にとっては素直に嬉しい言葉が、自然と楠木から告げられた。  「楠木さんはお仕事ですか」  「そうよ」  言いながらも手を止めない姿は様になっている。ただ制服であろうエプロンと頭に被った三角巾が似合わないのは、褪せているとは言え僅かに金色を残す髪のせいかも知れなかった。  「いや、見掛けたんで挨拶だけ。お仕事、頑張って下さい」  「そっちもね。料理上手は、良い女には欠かせないからさ」  そう冗談目かした楠木に頭を下げた夏樹は、何とも言えない心持ちながら口角に笑窪を浮かべていた。
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