母性

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 安定期にも入ってつわりもおさまり、久しぶりに夫とディナーに青山へと出かけた。その前にショッピングへ行こうと、私は夫を誘う。機長就任のお祝いがまだだったからだ。オシャレに拘るパイロットが多い中、夫はファッションに無頓着な人だった。独身時代は全身ファストファッションで、私はそれを2度目か3度目かのデートで聞かされ、ずいぶん驚いたのを今でも覚えている。その分、結婚したら、家計が助かると思ったのも本心だ。私がオシャレに散財しちゃうタイプだったから。  ところが、今日の彼は香水がほしいと言い出した。加齢臭が気になると笑うが……、まさか浮気してる?  疑心暗鬼かもしれないけれど、それはそれで仕方がないと思った。機長になって職場ではこれまで以上の緊張感に晒され、家に帰った時くらいは癒されたいのは当然だろう。ところが、妻の私はつわりがひどく、常にイライラしていた。安定期に入ってからも、心は不安定だった。風呂上がり、鏡の前で主張を始めた下腹部を目の当たりにするたび、私はゾッとした。へその形も変だし、毛深くもなった。勲章どころか、ぶざまで、おぞましいものにしか見えない。まるで自分がヒトからケモノになったような、生々しさ。私は常にカリカリしていた。なのに、彼は家事を率先して手伝ってくれるいい夫で、事あるごとにお腹の子にも語り掛け、フライト先ではお腹の子のためにお土産も買ってきてくれた。いい父親になるのは間違いない。妻の私にバレないようにしてくれれば許そう、なんて、大きく構えようとするものの、許せるわけもなく……。 「パパは大丈夫だよね? きっとママの勘違いだよね?」 夫の留守中、満たされない思いを、私はお腹の子に打ち明ける。いつしかお腹の子が一番の話し相手になっていた。  こうなると、我が子に会える妊婦健診が楽しみになる。 「ベイビー。今日は元気だね。足を振り回してる!」  ママの言っていた通り、この子は私の命になるかもしれない。一瞬でもエイリアンと思ったことが申し訳ない。妊娠がわかってから休んでいたインスタも再開して、さすがにエコーの画像は載せないものの、我が子のために揃えたシルクのベビードレスや天然木のベビーベッドなどをアップしていく。同期のママたちが「いいね!」を押してくれた。彼女たちが「#お花畑の妊婦様」「#楽しいのは今のうち」と私を揶揄するようなハッシュタグを付け加えているなんて、つゆ知らず、私の心はずいぶん落ち着いた。ところが、6月のあの日――
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