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「――らァッ!!」
東雲さんの長い爪が、暗闇を切り裂き一閃する。絡新婦は軽々とそれを躱すと、手下の子蜘蛛を飛ばして東雲さんを捕らえようとした。けれども、すかさず子蜘蛛に黒い羽が突き刺さる。それは、烏天狗の羽だ。
ふたごの烏天狗の金目銀目は、目を爛々と光らせて、絡新婦と対峙している。
「夏織を喰らう? ……馬鹿も休み休み言うんだね」
金目が怒気を迸らせ、呪符を口に挟んで印を組む。すると、辺りに青白い炎が走る。
炎は空中を走って絡新婦の体を取り巻いた。けれども、絡新婦は一瞬だけ苦痛の表情を浮かべただけで、あまり効果はなかったらしい。すぐさま水中に逃げ込んでしまった。
流石に水中で戦うのは不利だと考えたのか、金目は空中で絡新婦が水から上がってくるのを待っている。するとそこに、銀目がやってきた。
「金目は優しいな! 出てくるのを待っていてやるなんて」
いつもは底抜けに明るい銀目は、怒りのあまり今日ばかりは無表情だ。銀目は、金目の肩を軽く叩くと、入れ替わるように賢淵の上空に立つ。すると、銀目は水面をじっと見つめていたかと思うと、何かを見つけたのか、目を爛々と輝かせた。そして、次の瞬間には宙を蹴って水の中に飛び込んだ。
どおん、と大きな音がして、巨大な水柱が立つ。
辺りに大量の水が撒き散らされて雨のように降り注ぐ中、銀目の楽しそうな声が聞こえた。
「――みいつけた!」
「ぐ、あああああ!!」
やがて水が止むと、そこには絡新婦の首を鷲掴みにした銀目の姿があった。
すかさずそこに、金目の放つ炎が迫る。同時に、東雲さんも恐ろしい速さで絡新婦に向かって駆け出した。
東雲さんは、暗闇の中で金色の瞳を光らせると、にたりと犬歯をむき出しにして笑った。
「――俺ァ、相手に敬意を払って、一切手加減しねぇ質なんだ。覚悟は出来てるか、蜘蛛!」
「……ほほほ! 抜かせ!!」
絡新婦は眼前に迫る東雲さんの爪に、口から吐き出した銀糸を噴き掛けると、勢いよく体を回転させて、銀目や炎諸共弾き飛ばした。
「……夏織、見ていないで行くわよ!」
すると、戦闘をハラハラしながら見守っていた私に、ナナシが声を掛けてきた。
はっとして、慌ててナナシの後に続く。ナナシは、賢淵に張り巡らされた蜘蛛の巣を、隅々まで確認していく。そして、巣の一番奥まった場所に、糸が絡みついた何かが転がっているのを見つけた。
「……クロ!」
水明はそれを見つけるなり、急いで駆け寄った。そして、小さな体にべったりと張り付いている糸を剥がしていく。私はナナシと頷き合うと、一緒に糸を取りに掛かった。
かなり時間が掛かったけれど、なんとか糸を解くことは出来た。
糸の下から姿を現したのは、犬のようなイタチのような――なんとも不思議な姿をしたあやかしだった。犬にしてはひょろ長く、イタチにしては頭が大きい。黒い毛に赤い斑がある。水明が言っていた通りの姿だ。この子がクロなのだろう。
けれども、糸が取れたのにも関わらず、クロはぐったりと目を瞑ったままだ。
よくよく見ると、口の端に泡が付いている。すると、それを見たナナシが眉を顰めた。
「やっぱり。蜘蛛の毒に冒されているわね。ここじゃ、治療もままならないわ。一旦連れて帰りましょう」
「東雲さんたちは……」
「荒っぽいことは、血の気の多い奴らに任せておけばいいのよ。冷静に、自分たちに出来ることをしましょう。……ね? 水明」
ナナシは水明の顔を覗き込むと、「しっかりしなさい!」と檄を飛ばした。
「その子、相棒なんですって? 私が責任持って治すから、その子が目を開いたときに、傍にいてやれるようにしてやんなさい」
「俺は……」
すると、こんなときにまで態度がはっきりしない水明に、ナナシは険しい顔で凄んだ。
「何を迷っているのか知らないけれど、それは生命よりも大切なことなのかしら」
すると、水明はふるふると首を振った。そして、大事そうにクロを抱きかかえる。
「……クロ……」
心配そうに――まるで少年のように不安気な表情で、手の中の小さな生命を見つめている水明は、悔しそうに口を引き結んだ。
それを見たナナシは、途端に穏やかな表情になって、水明の肩をぽんと叩いた。
「行くわよ。大丈夫、きっと間に合うわ――それにしても、あいつらちょっと派手にやりすぎじゃないかしら」
すると、ナナシは若干呆れた風に三人が戦っている方を見ると、大きく嘆息したのだった。
*
隠世に針山地獄経由で戻ってきた私たちは、ナナシの薬屋にやってきた。布団にクロを寝かせて、血で塗れた毛をタオルで拭っていく。幸いなことに、それほど深い傷はなかった。それよりも、体内に注入された毒がクロを弱らせているようだ。ナナシは薬棚から小さな瓶を取り出すと、ほっとしたように息を吐いた。
「解毒剤があってよかった。あとは外傷ね。傷薬を調合するわ。材料を……って、水明?」
慌ただしく調合の準備を始めたナナシは、水明が薬の材料が詰まった瓶を持ち出したのを見て、目を丸くした。水明は手の中の瓶をナナシに渡すと、ぶっきらぼうに言った。
「……薬や漢方のことなら、それなりに知識がある。手伝おう」
するとナナシは途端に破顔して、大きく頷いた。
「じゃあ、あれとこれと――」
「わかった」
――クロ、治療が無事に済めばいいんだけど。
キビキビと動き始めたふたりを眺めながら、私はどうすればいいかわからなくて、所在なげに薬屋の隅に立ち尽くしていた。ふたりは、必死にクロを助けようと頑張っているのに、手持ち無沙汰な自分がもどかしい。すると、そんな私を見かねたナナシが、声を掛けてきた。
「夏織はお米を炊いてくれる? おにぎり、沢山作っておきましょ。大暴れした男どもが、腹ペコで帰ってくるでしょうから」
「……うん! わかった!」
私は自分にも出来ることがあることにほっとして笑みを浮かべると、薬屋の台所に向かったのだった。
――それから二時間後。
クロの治療が一通り終わると、三人共ぐったりと疲れ切ってしまい、休憩がてらお茶を飲むことにした。添えられた饅頭の甘さが、体に蓄積した疲れを溶かしてくれるような気がする。
因みに、皆が慌ただしくしているなか、ひとり居眠りをしていたにゃあさんは、ちゃっかり私の膝に座ってナナシから貰った煮干しを食べている。本当に、猫とは自由なものだ。
クロは布団で穏やかな寝息を立てている。どうやら、治療は上手く行ったようだ。溶体は安定している。ナナシは穏やかな表情で眠るクロを見つめると、小さく肩を竦めた。
「本当に良かったわ。蜘蛛は、獲物に毒を注入して動けなくした後、体内に消化液を流し込んで、中身をドロドロに溶かしてから食べるのよ。そうなっていたら、手遅れだったわ。危機一髪ね」
「……うわあ、蜘蛛怖い」
「そういう生き物なんだもの、仕方ないじゃない。この子ももうすぐ目が覚めるでしょう。……お茶淹れてくるわね、待っていて」
ナナシは空になった急須を持つと、台所へと向かった。
私はナナシの後ろ姿を見送ると、ベッドに眠るクロに視線を移した。怪我はともかくとして、随分とやせ細ってしまっている。若干あばらが浮いている姿は痛ましくもある。
水明はその姿をじっと見つめて、どこか思いつめたような表情をしていた。
「……くそっ」
そして、水明が触れようと手を伸ばした瞬間、固く閉じられていたクロの瞳がうっすらと開いた。すると、しばらくぼうっとしていたクロは、水明が傍にいることに気がつくと、ぐるる、と牙を剥き出しにして唸った。
「触れるな、相棒」
――それが、目を覚ましたクロが発した、第一声だった。
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