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「羽山ひばり……。彼女は亡くなった貴方のお母さまに似ていますね。だから、ですか」
「……」
ぼくは黙って横を向いた。鞄から黒縁の眼鏡を取り出してかける。
「始業なので行きます。先生」
ひと呼吸置いて余裕を取り戻し、少し笑ってみる。
「ここ、女子トイレ」
大鴉は言わなくてもわかっている、というしかめつらだ。忍者は場所柄を気にしない。というか、そういう場所柄を逆に利用するのが忍者なのだ。ま、それはわかっていて言いました。で、ぼくはあるモノを放ってよこした。大鴉は迷惑そうに受け取る。
「何ですか、このもっさいモノは」
ぼくはできるだけ気楽に笑った。
「ひばりを付け回してたストーカーの腹巻。先生にと思ってもらっちゃった。ほら、今も寒そうだからどうぞ」
大鴉はかんしゃくを起こしたみたいだった。
「君は……忍術だけ高度でもまるで子供だな!! 教育係の僕の立場も考えなさい」
笑顔でごめんなさーいと合掌だけはしておくぼく。
もう遅刻してる。手早くトイレを走り出ようとして、出口で気がつきすばやくスカート丈を膝下にずりさげる。人前だからという遠慮や羞恥はぼくには存在しない。
それにしてもとぼくは振り返る。我ながら見事な化けっぷりだった。ウィッグをとって短髪にすっぴん、黒縁眼鏡に膝下スカートにしてしまえば、まるで別人だ。美貌の乙女が見かけにかまわぬガリ勉に早変わり、というわけである。
最後に大鴉に向かってぼくは軽く手を振った。
「まったくあの子は……次期頭領の自覚に欠ける」
ぶつぶつ言っている大鴉の声が耳に入る。ぼくが地獄耳なのを忘れてはいけない。
そのあとかれは「きゃー!! 女子トイレに痴漢よー!!」という叫び声に飛び上がったはずである。 口調と声色は変えたけど、ぼく、藤林 隼の声だってこと位、大鴉ならわかるはずだ。
ばたばたと駆け寄る足音を避け、ぼくは急いで壁向うに姿を消す。女子トイレに向かって耳を澄ましてみた。
「藤林 隼!! 許すまじ!!」
……あーあ。また怒らせちゃったかもしれない。
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