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教室に入ると、とっくにホームルームは終わり、小テストが始まっていた。渋い顔の教師に地味に頭を下げながら席につくと、隣の席の羽山ひばりがしきりにぼくに目配せを送っている。
《あとで》
ちょっとだけ笑って見せる。眼の前のテストに集中するためふっと息をつき、シャーペンを廻す。表の顔ではぼくは中高一貫の私立高校に通う大人しい黒縁眼鏡の優等生だ。この仮面に相応しい満点を取らなきゃ。
テストなんて忍術とは何の関係もないと思われるかもしれないけど、これもぼくの任務の一環なのである。
どうせ演じるなら劣等生の仮面のほうが楽だとも思うけど、何か問題が起きた時、目立たない程度に優等生だとそれだけで何かと見逃されやすいのも確かだ。つまり、この仮面は危機管理の一つだってこと。
まだ一人前じゃないけど、雑用程度の任務は任されているし、しくじる可能性だってある。
万が一目撃された時、『まさか彼女のはずがない、大人しくて成績優秀な藤林 隼がそんなことをするはずがないから』って思われるようにしておくのは、自身のためなのだ。
小テストが終った。ペンを置いて肩を廻す。テストを集めるざわめきに紛れてひばりがぼくの肘をつついた。
「今日はどうしていつもと別の道で登校しなきゃいけなかったの? 言いつけ通りにはしたけど。もしかして私の依頼と関係ある?」
弓型の眉をひそめ、心配そうに言う。長い黒髪が肩の上をさらさら流れた。彼女こそ美少女と呼ぶに相応しいと、ぼくは思う。見知らぬストーカーにつけ狙われてしまうのも、美貌の付録みたいなものなんだろう。ぼくは笑った。
「心配ないよ。話をつけてきただけ。もうあいつはひばりの前に現れないから」
ひばりはもっと聞きたそうだったが、英語教師が授業を開始したので、ぼくは前を向く。
太っちょの教師はズボンのベルトを締めるのが窮屈だからとよれよれのサスペンダーを常用している。そのサスペンダーの金具を神経質そうにいじりだしたら、何かが気に障ってるってことだ。さっきからぼくらが話しているのが気に入らないのだ。
にもかかわらず、ひばりは話の続きが気になって仕方ないようで、ぼくの方を向いたままだ。頼む、前を向いてくれ。
ぼくの危惧は当った。英語教師は腹を揺らしながら近づいてくる。
「羽山ひばり。何をよそ見している」
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