第10章 立つ鳥

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 かつてユウがマツバ姫に稽古をつけてもらっていた、まさにその場所で今、ユウとアルハの手によって新しい流派が生まれようとしている……と、したら。 ──あのかたは、どのように思われるだろうか。  アモイの心中に、ふとそんな考えが浮かぶ。と、次の瞬間、背後から唐突に低い声がした。 「何もお思いにはなるまい」  驚いて振り向くと、いつの間にやらムカワ・フモンが床の上に座して、悠々と茶を飲んでいる。 「お、甥御……いや城代。おいででしたか」  相変わらず皺も汗染みもない苔色の長衣を羽織ったムカワは、五十の坂を越えて髷にも白いものが目立つようになった。頬骨の張った浅黒い顔には眼帯を着用して、いっそう風貌に凄みが増している。  まだ娘が幼かった春の日、突然の引退を願い出た時点で、実はすでに右目の視力を失いかけていたらしい。マツバ姫が城主に復帰し、その間に休養して治療に専念していれば、あるいは失明を避けられたかもしれない。が、それから十年余り経った今も、彼はまだ同じ肩書きを背負ったままだ。 「何をお思いになる必要もない」  碗を茶托に置いて、ムカワは言い直した。 「過去を惜しむも未来を思い煩うも、今を生きる者の務めなれば。あのおかたは、誰よりも深く重き務めを、とうに果たし終えた」 「務め……ですか」 「それはすでに、次の者に受け継がれている」  隻眼の城代は口を閉ざし、ゆっくりとアモイのほうへ、否、窓の外の空へ面を向けた。
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