余章

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「こちらにおいででしたか」  開いたままの戸口から、一人の若者が顔を出した。鍛え上げられた長身に、温和な面立ち。儀式用の盛装に、腰に差した剣装の鉄納戸(てつなんど)が映える。 「ここも一応は奥御殿の敷地内だ、男子禁制のはずだぞ」 「ええ、でも、誰にも止められませんでしたよ」 「肝心の王妃が長らく不在なれば、禁の緩むも道理か。まあ、せっかくだ。そなたの父の名の刻まれた(いしぶみ)を拝んでいけ」 「それはまた後ほど。大広間に宮臣一同がおそろいで、貴女をお待ちしています。お急ぎください」 「せわしきことよ。亡き母へ挨拶をする暇すら許されぬとは」  女は少しばかり皮肉な笑みを浮かべて振り返り、相手の肩を景気よくたたいた。 「何ゆえそなたが、さように緊張した顔をしている?」 「むしろご当人が、どうしてそんなに余裕綽々でいらっしゃるのかがわかりません」 「わたしには父がついている。こうして、亡母(はは)も見守ってくれている。何を恐れることがあろう」  本当に余裕があるなら、今あえて独り、霊廟を訪れたりするものか──などと、女は言わない。代わりに若者の青ざめた顔をまっすぐに見つめ、 「それに、そなたもいてくれるしな」 「は……」  不意を突かれた若者が返答に困るのを見て、声を出して笑う。それからにわかに表情を改め、 「では、参るか」  切れ長の眼に、鋭い光がひらめく。 「わたしの選んだ道を」  若い二人は顔を見合わせると、もはや言葉を交わすことなく、確かな足取りで廟を後にした。扉が静かに閉ざされ、向かい合う墓と石碑と、窓から差しこむ白い光だけが残る。  この日、山峡国(やまかいのくに)に、史上初の女王が誕生する。
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