余章

6/10
47人が本棚に入れています
本棚に追加
/437ページ
 * (物語が執筆された時期、原著者は不遇な晩年を送っていたとされている。  大国の将軍の妻ゆえに保証されていた豊かな暮らしは、地震を機に崩壊した。夫の主君である王太子が失脚したためだ。圧倒的な求心力はひとたび歯車が狂えば苛烈な斥力に転じて、人心の離反は止まるところを知らず、ついに王位を継ぐことなく三十代の若さで急死する。一説には、政権奪還をもくろむ父王の命により暗殺されたとも言われている。  著者の夫は主君に殉じ、一族は滅亡の道をたどった。ただ彼女はその少し前に離縁されていたため、赦されて独り田舎へ落ち延びたらしい。  彼女は失意と孤独の日々の慰めに──というのは憶測に過ぎないが──後に『紅鷹君伝』の母体となる一連の草稿を書き上げる。それがいかなる経緯で書物となって世に出たのかについては、定かではない。  定か、と言えそうな後日談を、代わりにいくつか述べておこう。山峡の人々のその後について、ごく簡単に。  アモイ・ライキは王位に就いた娘を陰日向に支え続けて生を全うし、没後は「王ならざる名君」として偉人伝に名を連ねる。ウリュウ・アルハは即位後にテシカガ・シウロ二世を婿に迎えたが子には恵まれず、二十年余りの在位の後、従甥(いとこおい)に王座を譲る。すなわちウリュウ・ルカの息子、ハルの孫である。  美貌の騎士タカス・ルイは四十過ぎで妻に先立たれた後も再婚はせず、死ぬまで独身を貫いた。それが時を超えて多くの女性から支持を集め、しまいには歌劇の主人公に取り上げられるに至る。裸一貫から大将軍に登りつめたバンケイもまた時代物の舞台になじみの人物となるが、こちらは通俗的で男くさい大衆芝居ばかりで、客層は随分と異なるようだ。  隻眼宰相の異名で知られるムカワ・フモンは、結局、隠居の機会を逸した。女王が即位すると都へ同行して宮臣に加わり、晩年には国の重鎮として畏怖される存在となる。彼が愛用していたという片眼鏡は家宝として子孫に受け継がれたが、後の世の戦乱に紛れて失われてしまった。  ユウは──残念ながら、歴史文献に記述は見えない。その名が登場するのは『紅鷹君伝』と一部の民間伝承だけで、実在したのかどうかさえ疑わしいと見られている。  もちろん、歴史に名を残さなかったからと言って、存在しなかったなどと決めつけられるはずはない。この世に起こった出来事のうち史実として伝えられるのは、あるいは伝えるべきだと認められるのは、ほんのわずかな表層の一部分に過ぎないのだから。  そうして歴史が口を閉ざすときこそ、物語は高らかに声をあげるのだ。たとえば、こんなふうに。)  *
/437ページ

最初のコメントを投稿しよう!