46人が本棚に入れています
本棚に追加
/437ページ
「とんとお見かけしやせんでしたねえ。もうこの世にはおられないもんかと思ってやした」
「まあ、いないと言えば、ずっと昔からいないようなものだがな。そっちはどうなんだ、儲かってるのか」
「どうもこうも。戦好きなどこぞの若殿さまが死んじまったおかげで、商売上がったりでさあ。何しろ貝殻は、不穏なときこそ売れるもんですから。気前のいいお得意さんももういねえし、そろそろ潮時かと思ってやしてね」
「何だ、廃業するのか」
「この不況に、可愛い甥っ子の商売敵になるってのも気が進みやせんしねえ」
「ああ、例の甥っ子。商売を始めたのか」
「まだ駆け出しですけどね」
餌を付け直した針を水に放りながら、釣り人はさほど困っているふうでもなく言う。
「で、今日は? 随分と重そうな荷物をお持ちのようですが」
「これか」
傍らに置いた四角い布包みを見て、男は答える。
「原稿だ。北湖には、いい書肆があるんだろ」
「本でも作ろうってんですか。そんなの美浜にだって、いくらでもあるでしょうに」
「鏡の都の職人のほうが、腕が立つんだとさ」
「作家先生のご要望ってわけで」
「そういうことだ。いい貝はあるか?」
最初のコメントを投稿しよう!