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桟橋の上に立ち上がった男の、対岸の都を遠く眺めるその横顔を、釣り人は盗み見る。
「……手伝うのはかまいやせんがね。もののついでですし」
独り言じみた返事を受けて、男は小さく頷く。それからふと思い直したように、
「やっぱり、いくらか払うよ。貝殻の代金」
「はあ。そうおっしゃるなら、強いてお断りはしやせんが。じゃ、一曲、お願いしやしょう」
「曲?」
「お代の代わりに、その笛で、一曲。何かお願いしやすよ」
男の腰帯に差してある、革袋に包まれた棒状のものを指さして、釣り人は言った。
まもなくして、平らかな水面を滑るように、軽快な旋律が流れ始める。山峡の国の童謡だ。鳥になった女が、幼いときに好んだ歌。文字になった女が、人生の終わりに求めた歌。
薄い傷痕のある頬を膨らませながら笛を吹く男も、水面の波紋をぼんやりと眺めながら聴く釣り人も、決して歴史に名を残すことはない。だからこそ、わたしたちの物語を託すのにふさわしい、かもしれない。
真一文字に翼を広げた大鳥の影が、湖面を音もなく行き過ぎる。二人は見上げようともしない。ましてや、雄か雌か問うこともない。とは言え、彼らに確かめてもらうまでもなく、わたしにはわかっている。
だってわたしは、この物語の作者だもの。そして主人公は──。
男の胸元に、二つのいびつな珊瑚が揺れる。その奥に、赤い光がほのかに灯った。
-完-
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