第3章 隠密

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 昔であれば、姫が意表を突く行動をとったからと言って、これほど感情的になることはなかった。彼女が自分の言うことをおとなしく聞いてくれるはずだという思いこみは、いつの間に生まれたのだろう。  ふと黙りこんだアモイに対し、姫はやや皮肉めいた笑みを浮かべた。 「そなたの申すとおり、わたしがここに参ったのはテシカガの意思でもフモンの指図でもない。わかっているのならば、八つ当たりはよすがいい」  アモイは言い返す言葉もなく、唇を噛む。 「わたしが行くと決めているものを、覆せる者があると思うか。縛られてどこぞへ押しこめられようと、きっとわたしは脱け出して、独りでもここへ来たであろうよ。とすれば、こうしてテシカガの副官を装わせたこと、フモンには採りうるかぎり最も安全な手立てであったと言わねばなるまい。かれらのことを悪く思うな」 「……」 「安心せよ。長居するつもりはない。用が済んだならば、すぐに往ぬるわ」  いかにも人を食ったような、しかし妙に説得力のある口上を黙って聴きながら、アモイは胸に自問していた。そもそもなぜ、姫がここにいてはいけないのだったか。具足を纏い、身分を隠して辺境の砦へやってきた彼女を見て、なぜこんなにも心が騒ぐのだろう、と。  行灯の火が、ちりちりと微かに唸っている。それに合わせて、壁に写し出されるいくつもの人影が小刻みに揺らめいた。 「取り乱したことは、お詫びします」     
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