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心臓がとんでもない早さで私を内側から揺らす。
抱きしめるまでは性急だったのに、触れあった唇の動きはもどかしいほど優しい。何度もそっとついばまれる。
勝手に瞼が落ちていく。甘く痺れるような何かが体の芯からとけだしたみたい。力が抜けて、立っているのも覚束なくなってしまう。それに気づいた神谷さんがすぐに腰をギュッと引き寄せ支えてくれた。
じらすようにそっと舌が差し入れられて。私の舌先とわずかに触れ合った瞬間、瞼の裏側で何かがはじけた。慎重に口のなかを侵していくそれに、声にならない喘ぎだけがこぼれおちていく。
息がうまくできない。それなのにやめてほしくない。
緩やかな角度で青い海にダイヴしていくような恍惚感と溺れてしまいそうな怖さがせめぎあう。もどかしくて苦しい。すがるように、彼の腕をぎゅっと掴んだ。
1階に到着したことを知らせる音と同時に、唇がすっと離れた。エレベーターのドアがあいて、呆然としている私の手を引いて神谷さんがあるきだす。
痛いくらいに熱をもったわたしの頬を、外の冷気が撫でる。地に足がつかない心地で引っ張られるまま歩いていると、不意に神谷さんが道端で立ち止まって瞳をのぞきこんできた。
「まだ下の名前を呼んで貰ってないよ?」
わざと拗ねたようにそういって笑う人は、さっきまであんなキスをしていたようにはみえない。わたしのほうは何も言えないまま、ぼおっとみつめることしかできないのに。
苦笑しながらわたしの頬を指先でそっと撫でた。炙られてしまったように頬がさらに熱をもつ。
空気を求めるように口を開くと、今度は軽く唇に噛みつくようなキスをされて喉が鳴ってしまった。耳もとで囁かれる。
「なまえ、呼んで?」
もうなにも考えられない。そのまま催眠術にかかったみたいに口が勝手に開く。
「大介……」
彼はようやく納得したように頷いて笑った。わたしの好きな、目尻に小さなしわができるあの笑みで。
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