最終章 それぞれの想い

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「ありがとうございます! って正直に言いたいんですが、先輩卑怯すぎませんか? めっちゃ浴衣似合うじゃないですか、これ全然勝負になりませんよ! 月とスッポンってこのことですか?」  じろじろと寧音を舐めまわすように見ている千香であったが、彼女が油断したスキに、寧音は手にもっていた虫よけスプレーを彼女のうなじに吹きかけた。 「ひゃっ、つめたぁい!」    寧音はそれをみると満足したのか、笑みをこぼしながら、千香の残りの部分に噴霧していく、それにしても、彼女が雪道たちのグループに加わってからというもの、先輩である寧音に笑顔が増え始め、今ではすっかり仲のよい関係を築いている。 「よお、雪」 「ああ、秀も涼しそうな格好しているね」 「むしろ、お前はなんでそんな服装選んだんだよ」 「だって、俺あんまり夏にみんなで遊んだ経験がないから、どうやっていいのかわからなくて」 「それでも、なんか夏祭りっぽい服装ないのかよ?」   「夏祭りっぽい服装ってなに?」 「すまん、お前がこうやって出てくるだけで凄いことなのにな」  あきれた顔で言うのを諦めた秀に代わって、一通り虫よけスプレーを終えた千香が雪道のそばへ寄ってきて、軽く一回転すると、何かをもとめるような眼差しを彼にむける。   「えっ…、っと、すごく似合っているよ、なんか隣にいると花火より栄えそうだね」 「それって褒めてます?」 「褒めていると思うけど、表現が微妙よね」 「いや、花火より綺麗ってなんか歯が浮きそうなセリフよく言えんな雪」 「まぁ、とりあえず褒めてくれているってことでOKってことで、早速行きましょう!」  地元ではない千香は、寧音の隣に歩いていくと、その脇を秀が歩き、寧音の隣を雪道が歩いていく。  四人の距離がとても近いのは、単純に履きなれない靴を履いているだけではなく、心の距離もしっかりと反映されている。  そのまま、八十段ほどの階段をのぼっていくと、三分の二が過ぎたあたりで、太鼓や笛の陽気な音と夜空を照らす光が強まり、いよいよ会場が近づいているのが感じられ、全員の表情が暗闇でも明るくなっていく。  この無駄に多い段数も今日ばかりは楽しく、眼下に広がりつつある街の景色と闇と祭りの灯りが混ざるその間はざまに位置する場所はまるでタイムマシンのように、期待と不安が絶妙に入り混じった空間を演出し、まだ若い四人はそれを楽しみながら目的地を目指していった。 「わぁ、ちょっと雪先輩! あれってなんですか?」  祭りの入り口に設置された灯篭の下に大きな餅が置かれており、それを指刺しながら興味津々といった表情で雪道に問いかける。   「ちなみに、寧音はあれなんだか知っている?」 「お餅ってことしか知らない」 「そもそも、なんでお餅なんだよ。 今まで疑問に思ったときなかったけど、千香にそうやって聞かれると、微妙に気になるな」 「ですよね! で、雪先輩はなんでかわかるんですか?」 「詳しいことはわからないけど、お餅って昔は歓迎の証だった地域もあるくらいだから、ああやって入り口に置いておくことで、このお祭りに来てくれる人を歓迎しているんじゃないのかな?」  揃って三人は「おぉ…」というが、そう言った彼自身もあまり根拠がなく自信もないので、 後で改めて調べておく必要があると感じていた。     お祭りの会場は、予想以上に賑わっている。  手前には美味しそうな焼きそばやたこ焼きの屋台がならび、奥にいくにしたがって、金魚すくいや、射的などの遊びの屋台が軒を連ねていた。 「わぁ、すごい! 結構本格的なんですね! ここまで来るのに少し疲れてしまいましたけど、なんだかそれでお腹減ってきたので、今日は食べるぞ!」  元気にはしゃぎ始める千香に対して、三人が微笑みかけると、それを見た千香は寧音に抱き着いて、一緒に焼きそばを買いに行こうと誘いだした。   「え…、焼きそばもいいけど、私実はたこ焼き食べたいんだよね」    ここで、先輩である寧音の非情な一言に対して、あからさまに項垂れた彼女であったが、秀が雪道の隣を離れて千香のもとに駆け寄る。 「じゃあさ、俺と雪で焼きそば買いにいくから、千香と寧音でたこ焼き買ってきてくれよ。そんで、みんなで分けて食べれば一石二鳥じゃない?」 「たまにはナイスな意見を述べるのね」    寧音のあまり表情のないセリフが秀の胸に突き刺さるが、全員が彼女の言葉のいたずらであるとわかっていたので、笑いながら二手に分かれていく。  屋台の食べ物の香りというのは、なんとも言えない特別な香りであると思われる。  普段のコンビニやスーパーで買ってきたモノとは一味違う、それはこのお祭りという名の空間と一緒に味わえるからではないか。    地平線に沈む太陽と、それに伴い明るさを増していく提灯や常夜灯が彩を加え、人々の喧騒をベースに笛や太鼓が奏でる音楽が、訪れた人々の心を満たしていく。 「ねぇ、千香ちゃん」 「なんですか先輩?」
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