1 St.バレンタインデーの『伝統』 

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 「そんな!むさくるしくなんて、全然ないです!」 ぐるりと室内を見渡した後で、糸川が言った。  そして一転、声を低めてシミジミと続ける。 「・・・でも、小野寺主任って独身なんですね」 よかった。とため息のように小さくちいさく言い足されたのを、小野寺は聞かないフリをした。 「そう、離婚してもう十年になるな」  左手の薬指にあった指輪やせの跡は、もうすっかりと消えた。 離婚をしたばかりの頃は指輪がないのがひどく不自然で不安で、つい左手ばかりを見ていた。  十年間で慣れたことが一体いつ消えてなくなったのかを、小野寺は全く覚えていない。 「小野寺さん・・・」  テーブルへと置かれていた小野寺の左手に、向かい合って座る糸川の右手が伸びる。 指先が重なる寸前で、小野寺は椅子から立ち上がった。 「だいぶ早いけど、お返しを用意しておいた」  笑いらしいものをその顔に浮かべて、キッチンへと向かう小野寺の背中を、糸川はただただ、見つめることしか出来なかった。  
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