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1 St.バレンタインデーの『伝統』
二月十四日当日は、班内での一番下っ端、今年新人が入ったのならばソイツがチョコレートを買って来ておく。という習わしを一体誰が最初に始めたのかは、小野寺は知らない。
しかし、女っ気がない殺伐とした労働環境下のおいて、少しでも気を紛らわしたい!
チョコレートをもらったという既成事実だけでもほしい!
という先人の魂の叫び、もとい知恵は感じ取ることが出来る。
専従班と言えば聞こえがいいが、特殊技能を持っているだけが取り柄の、変わり者たちの寄せ集めだった。
当然の様に入れ替わりは多い。
今年、配属された糸川優も又、昨年末に辞めていった篠井の代わりだった。
今朝、小野寺は出勤した際に、部屋の隅のコーヒーメーカーが置かれたテーブルの上に、個別包装をされたチョコレート菓子の袋を何種類か見つけた。
糸川はちゃんと、新入りとしての責務を果たしたらしい。
最近の若い者にしてはなかなかどうして感心だ。と心密かにうなずいた。
既に袋は開いていたので、一番甘くなさそうなビターチョコレートを一つだけ選び出し、小野寺は自分の席へと着いた。
それなのに、小野寺は帰り際に糸川に呼び止められて、
「コレ、おれの気持ちですから!」
と、小さな紙袋を胸元に有無を言わさず押し付けられた。
行き付けの、自分よりもやや年上だろうママが独りで切り盛りをしている、スナック兼小料理屋のカウンター席で開けてみると・・・案の定、チョコレートだった。
ご丁寧にも箱に入れられ、リボンまで掛けられている。
中身は一粒ひとつぶの種類が違っていて、見た目にも実に美味しそうなのが計四粒。
小野寺の目にはほとんど、宝石か何かの様に見えるキラキラしさだった。
何が何だかサッパリわけが分からない小野寺の手元を、ママが覗き込んで歓声を上げた。
「何、テラさん、本命チョコ!?隅に置けないわねぇ・・・義理でこれは有り得ないわよ?わざわざ、デパ地下に買いに行くようなのだもの」
「・・・そうなのか?」
行ったのか?わざわざ?
普段の日でも人が、特に女性が多いアノ場所に男の糸川が、チョコレートを買いに?
一応想像はしてみたが、今一つ、小野寺にはその姿が浮かばなかった。
「ちゃんとお返ししなきゃダメよ?五倍十倍返しは当たり前だから」
「マジで?」
ママに言われて、熱燗を飲んでいたにもかかわらず小野寺は寒気を感じた。
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