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黙々と色鉛筆を動かしていたライルは、塗り終えた絵を目の前に掲げる。
「できたー!」
我ながら、良い出来である。
誕生日に自作の絵を飾ってもらうのが、八歳の時からの慣習になっている。
年を重ねるごとに、ライルは自分には絵の才能があるのではないか、と思うようになっていた。無論、世の中には上手な絵を描く人が多く存在することは知っている。けれども、絵を描くことを好む気持ちだけは、誰にも負けたくないと思うのだった。
描き上がった絵を丁寧に机の端に置き、本棚の奥に隠してあったワークを引っ張り出す。
ペラペラとめくると、初めの五ページほどは書き込んであるものの、あとは真っ白だった。母との約束を守っていれば次のワークに進んでいるはずだったが、チェックが甘いのをいいことに、サボっていたのだ。
「どうしよう。やりたくないなあ」
膨大な空ページに、意識を失いかける。
ライルは頭を抱えた末、ワークを本棚の更に奥へと押し込んだ。
喉が渇いたので、キッチンへと向かう。
ゴミ袋を縛っていた母が、「良いところに来た」と言わんばかりに手招きする。
「ちょっと手伝いをしてほしいんだけど」
「トイレ掃除はいやだ!」
「トイレ掃除は日曜でしょう。ママはゴミを捨ててくるから、ライルにはモップ掛けをしてほしいの」
壁に立てかけてあるモップを指さす。
ライルは床を見回した。特に汚れはない。
「毎日掃除してるから、きれいだよ」
「そう。毎日掃除しなくちゃいけないのよ。だからほら、モップを持って」
「んー……」
モップを取ったものの、掛ける動きは酷く緩慢で、終わるのに何時間かかることだろう。
「頑張ってくれたら、おやつにマフィンを作ってあげようと思ったんだけど。このままじゃ、クラッカーかしら」
マフィン、という言葉に少女の瞳が輝く。
モップを持つ手に力を込めて、ライルはモップ掛けに精を出す。
「ブルーベリーマフィンにしてね! 私頑張るから、ね!」
ミルシェは笑いながら、玄関へと向かっていった。
「♪みんなーだいすきーバターたっぷりのマフィンーブルベリーバナナーチョコにナッツー」
CMの歌を口ずさみながら、モップを滑らせていく。
「♪おひとついかがーきょうのおやつはーベルおじさんのマフィンー」
遠くの方でかたん、と音がした。
「ん」
音のした方にやって来る。階段の脇には小さな扉があった。
扉には太い鎖が幾筋も絡みつき、中心に錠前が鎮座している。
扉の奥からかたかた、と音がする。
もっと近づいてみたい衝動に駆られるが、長年の「約束」がライルをためらわせた。と、
「手が止まってるわよ、ライル」
ゴミ捨てからミルシェが戻ってきた。
娘の視線が地下室の扉に向けられているのに気づくと、腕を引いて遠ざけようとする。
「地下室から音がするよ」
「……」
それ以上言うな、とばかりの鋭い視線に、ライルは口をつぐむ。
「何もいないわ。ネズミよ、きっと」
「ネズミ? そうかな」
「そうよ。帰りに、パパにネズミ捕りを買ってきてもらわないと」
地下室の話題を出すと、母はいつも不機嫌になる。
それがライルには不思議でたまらないのだった。
「あら、綺麗になってるわ。ありがとね、ライル」
明るい口調になったミルシェが、ライルの手からモップを取り上げた。
「うん」
シンク下の空間から大きなボウルを取り出す。
「じゃあ、マフィンを作るから手伝ってくれる?」
ライルはちら、と地下室を見やった。それも一瞬のこと。
「……うん!」
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