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二十九日の朝を迎えた。いつものようにミルシェに起こされ、ライルは伸びをする。
カーテンの隙間から覗く空は、どんよりとした灰色だ。
着替えを持ってバスルームへ。階段近くの部屋、ラックとミルシェの寝室から聞こえてくるいびきで、今日が土曜日だということに気付いた。
身支度を終えたライルが降りていくと、ミルシェは冷蔵庫を整理している。
「これだけ開ければ、ケーキは入るわよね」
「よし!」と満足げに頷いて、振り返る。
「おはよう。朝ごはんできてるわよ」
キッチンのテーブルにはロールパンとスクランブルエッグ、それとレタスの乗った皿が置かれている。
ライルは席に着くと、ブルーベリージャムの瓶に手を伸ばした。ロールパンを割って、白い部分にこれでもか、とたっぷり塗り付ける。一口齧って嬉しそうに笑う。
「今日は買い物に行くわよ」
ミルシェの声に、ロールパンが手から落ちた。赤紫の線を描きながら、皿の上を転がっていく。
「ケーキ! ケーキを買いに行くんでしょ?」
「そう、ケーキよ。今年は、あれよね?」
こくり、とライルは頷く。
慌ててロールパンを頬張る娘を横目に、ミルシェは窓の外を見やった。
雨粒が窓を滴り落ちていく。昼までは保つと思っていた天気だったが、変わるのは早い。
「んぐっ」
苦しそうな声に目を向ける。手足をばたつかせ、コップを振って何かを訴えている。皿にロールパンがないことから、喉にパンを詰まらせたのは明らかだ。
「慌てて食べるからよ」
牛乳を注いで渡してやる。ごくごくと凄いスピードで飲み干すと
「生き返った」
口の周りに牛乳が付いている。ミルシェはキッチンペーパーを渡した。
「支度が終わったら、行くわよ。レインコートを着てね」
「うん」
ミルシェは冷蔵庫に貼っていた買い物メモを財布に放り込んだ。上着を持ち、財布をポケットに押し込んで、車のキーを取る。
朝ごはんを食べ終えたライルは食器を片付けた。早足で部屋に戻り、黄色のレインコートを羽織って降りてきた。
家の鍵を閉め、二人並んで庭を横切る。
色とりどりに咲いた花が、滴に揺られていた。
ライルたちが暮らすのは、グラナート小国、東端の町。
「サンダーハント」雷の溜まり場と名付けられるほど、落雷の被害が多い町。
白いワゴンを飛ばして、ミルシェは近場のモールへと向かう。
ライルは曇った窓を指先で擦った。ふっと滴を吹き飛ばす。家や店が現れては消える風景を、しばらく見つめた。
「パパ、疲れてるんだね」
「どうして?」
「私より、お寝坊さんだから」
「あら、パパだっていつもはライルよりも早起きなのよ。でも土曜日と日曜日は仕事がないから、遅くまで寝てるの」
「お仕事大変なんだね」
「そうね、パパは先生だから、たくさんの子を見るので大変なの」
「ふーん。じゃあ、夜まで寝かせてあげる?」
「ええ? 帰る頃には起きてるんじゃない?」
そんな会話を二十分ほど続けていると、モールに到着した。
朝早く、(と言っても十時は過ぎているが)それも雨だというのに、駐車場は既に車でいっぱいだ。空いているスペースを探して、ミルシェはワゴンを走らせる。
「駐車場、混んでるね」
「そうね。今日は土曜日だから」
「カート取らないと、なくなっちゃうね」
「そうね」
ようやく、入り口から少し離れたスペースを見つけた。
ライルの眼に、放置されたカートが映る。
「あ! あそこにカートあるよ!」
「一人で出ないでよ?」
手を伸ばして制止したが既に遅く。ライルはドアを開けて、カートの方へと駆け出した。
「ライル!」
稲光が走る。
辺りを白く染める光の中で、ミシェルの眼に「あの日」の光景が甦った。
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