人理を外れた境界にて

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人理を外れた境界にて

. . . 青年が一人、蓮の葉を模した 水に浮かぶ床の上に腰を下ろしていた。 透き通る程に美しい水面に映る 己の顔が波紋に弄ばれるのを眺めている。 『納得いきませんか?』 「ちょびっとねー。 ま、あの子自身がそれで良いつったし。 僕がやんや言うのは違うっしょ」 青年一人しかいない空間に 彼とまるで異なる声音が空間中に響く。 「後は本職にお任せって サマ花鈴が言ってたしぃ」 『主犯格の少年、存外実直でしたね』 「人を傷つけて得た優しさが 人たらしめるのか。 人を傷つけず生きた者だけが 人たり得るのか。 人間って面倒だよねぇ」 床から腰を上げて隣の蓮の葉型床に ひょいっと飛び乗り、 こともなげにその次は飛び移っていく。 『もしや、彼女は知らないのでしょうか? ご自分が折り込んでいたことを』 「それは別件でカタ着くよ、多分。 とりま、あの男の子は それには加わってないっぽいし」 『・・・知らぬ方が幸せという事ですな』 「しょーゆーコト♡ んじゃ、僕のマスクちょーだい」 水面が触手の様に突き出る。 水底から這い上がり、 触手の中へ吸い上げられ、 先端部分から 兎を模したマスクが出てきた。 濡れてる筈のそれは しかし、一滴も水を滴らせる事なく 中綿があるだろう 耳までピンと張っていた。 . . . 「え? 私、地獄へは行かないんですか?」 「あぁ、日本古典お得意の 意地悪問答だ。 そもそも、アンタは被害者だし。 幾ら魂分けて悪霊化したと言っても 罪を犯したのがアンタにはならない。 だから、逆の答えをしても アンタを地獄に送るかって話にもならねぇ。 混乱させて悪かったな」 夕焼けに照らされてるでもないのに赤く 向こう岸がまだ見えない程大きな川を 渡る為の舟を漕ぎながら 雪達磨男はそう謝罪した。 「じゃあ、どうしてあんな話を」 「今回が特殊っつーのもあるが、 アンタの人柄を引き出して 転生先を決める為の 判断材料が必要だったんだ」 「それって」 舟にのっている少女は 膝に乗せていた人形を胸に引き寄せる。 「これについての、これ以上は、 神事情で喋る訳にゃいかねぇ。 ともかく、そのボロ…ひなには 罰は受けて貰うのに代わりねぇ。 アンタが身代わりになる事も許可しない。 アンタ等人間でいう所の 妖を裁くタイプの 閻魔様ん所へ連れて行く」 「…ひなは、酷いことされるの?」 「あぁ、地獄だからな」 一切、少女を気遣う様子のない口調は 彼女の唇を真一文字に結ばせた。 雪達磨男は向こう岸の一点を目指して 無感情に舟を進ませる。 「…だったら、私も一緒に」 風は吹かず、波も立たず。 なのに、飛沫が降る。 「だーから、 そういうのも駄目なんだっつの。 地獄にせよ、妖にせよ ルールはあるんだから従って貰う。 ひなの罪は、ひなが罰せられるべきで アンタの罪じゃあない」 少女は人形を強く、しかし 壊れない様に抱きしめて背中を丸めた。 「そもそも、ひなは私の為に…」 「…まぁ、罰が終わるまで待つっつーんなら 頼んでみたらどうだ。 融通が利くかは知らんが」 「………」 少女は抱きしめた人形の顔を 胸から少し離して見つめる。 もう妖として魂を得てしまったその人形は 最愛の人間にニコリと笑いかけた。 「但し、長いぞ。 人間の感覚で待つとなれば 百年や二百年なら易しい方だ。 俺からアンタに提示できる選択肢は さっさと転生しちまうか、 ひなの地獄での刑期が終わるまで待つか、 この二つだけだ」 「…」 少女はどう返事したものかと 人形の顔を見つめて ますます口を強く結ぶ。 「まぁ、アンタが人を呪っていたら 人間用の地獄に連れて行って 閻魔様に裁いて貰ってただろうがな」 「…」 少女と人形を乗せた舟はやがて 向こう岸にたどり着く。 .
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