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鬱陶しい蝉の鳴き声。太陽の欠片が煌く水面。裸足で走り回る足音が、二人分。
オサムはプールサイドの縁に立つと、大きく伸びをした。真夏の生温い空気が、彼の身体中を巡る。
そんな呑気な彼の後ろで、抜き足差し足、忍び寄る影があった。友人のナツメである。悪戯好きな彼は、オサムの背中をいつ押してやろうかと、機を窺っていた。ぺたぺたと足音が鳴らないように、自分の気配を察しさせないように……。
今だ!と思い切りオサムの背中に飛び込んだナツメは、次の瞬間宙に浮いていた。目の端に、にたにた笑うオサムの姿が映る。状況も理解出来ぬまま、ざぱーん!彼の身体は冷たい水の中に派手に落ちた。
慌てたナツメは水の中で必死にもがいて、頭を水中から突き出す。最初に耳に飛び込んで来たのは、楽しそうな高い笑い声だった。
「あー、可笑しい。今なら本当に、臍で茶が沸かせるわ」
ナツメは、自分が頗る惨めに思えてきた。何だかむっとして、笑うんじゃねーよ、と言い返す。
「何で分かったんだよ?」
ナツメのこの問いに、オサムは逆光の中、親指で自分の後ろを指差した。そこには、気を失いそうな位激しく地上を照らす太陽があった。
「……影?」
「ぴんぽーん」
オサムは自分に近づくナツメの影を見たらしい。オサムはにこにこしながらプールに入る。ナツメは落胆し、ぽちゃんと潜った。
「大体、俺を驚かせようなんて、ナツメにゃ百年、いや二百年早いって――」
すると突然、オサムの身体は水の中に吸い込まれた。
暫くプールは静まり返っている。やがて水中に、黒い影が浮かんで、オサムとナツメが顔を出した。
「おい!鼻に水入っただろ!」
「誰が百年早いって?」
「そりゃなしだって!」
オサムは不快感を満面にして、それを見たナツメは大笑いした。その様子に、最初はむっとしたオサムだが、すぐに、ナツメにつられて彼も笑い出した。
中学最後の夏、学校のプールは彼等で貸切だった。自由に来ていいというものだったのだが、皆夏休みを機に、家族で旅行にでも行っているのだろう。
二人の笑い声は、乱れた蝉の鳴き声に混じって響いた。
二人は気付いていた。この時間が過ぎれば、自分達が離れ離れになる事を。卒業まであと半年。一緒にいられる時間が刻一刻と短くなっている。だから二人は、この他愛もない時間を大切にしようとしていた。一秒たりとも、無駄にしないように。
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