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「痛ぁ!」
間抜けな男の悲鳴。それは目の前の男から発せられたものではない。視界の端で男が飛び起きたのを見た。どたどた足音を立てたあと目の前にある男の頭が衝撃とともに消えた。急に解放された気管が欲していたはずの空気に驚いて咳き込む。顔を上げると、男が怒った顔で私ではない場所を睨んでいた。視線をたどる。そこには男の顔がゆらゆらと、首が折れたような不自然な角度で揺れ動いていた。顔は確かに男の顔だった。しかし、首から下は真っ黒でうねうねとうねる、ヒルのような軟体をしていた。ぐき、ごき、と音を立てながら男の顔がヒルの中に飲まれていく。男の顔が見えなくなると黒い塊は暗がりに霧散した。残された私と男の間に沈黙が残る。私は立ち上がって、居間の電灯をつけようとした。つかない。何度切り替えても電気の通る気配すらなかった。洗面所に行きブレーカーを確認する。レバーを上下させても反応はなかった。舌打ちをしてスマホの電源ボタンに触れる。反応なし。
「どうなってるんだ?」
「どうなってるも何もあるか」
鏡を一瞥する。貼っていたはずの札ははがれ落ちていた。ドアの札も、すべて。
「二人揃って眠ったせいで、二人とも今“夢の中”――あいつの土俵に上がったってことだよ」
私は視線だけで男を睨む。
「なんで寝た」
「いや、起きようとしてた。でも唐突に眠くなって、それからスクワットしたり腕立てしたりして頑張って起きようとしたんだって! でも気付いたらこうなってた」
疲れたらさらに眠くなるのは当然だろう、といいかけたのをやめて、はがれてしまった札を手に取る。鏡にそれを貼りなおそうとした。意味があるかはわからないけれど、そうしたほうがいいと思ったからだ。鏡に触れる。私と男の姿が映っている。それが歪んだ。まるで水紋が広がるように鏡面がざわめく。慌てて手を引いたが遅い。黒い手が私の手首を掴んでいる。アレの顔が鏡からぬるりと――水面から顔を出したように現れる黒い女の顔!
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