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しかし今その出家をいさめるような稚児のかわいい声が花散らす風を衝くようにして義清の耳につたわってくる。簡素ではあるが寝殿造りの風情をとどめた庭に目をやれば可愛いさかりの我娘花子が手毬をついて無心に遊んでいる。かたわらには我妻春子が。二人を見やりながら義清はあらためて出家の覚悟をおのれに問うてみる。弟がいて後事をすべて託せなかったらさすがの自分も出家などしはすまい。領地田仲庄を手放すどころか佐藤家の血筋さえ自分で絶やすことになってしまうからだ。眼前の妻子への扶持を始め万事弟に託し得たからこその出家であったが、しかしその妻と子の行く末などを思えばすべてがこれ断腸である。ではいったいなにゆえの出家なのか。
届かぬ月とも思っていた中宮璋子との阿漕の逢瀬の次第、鳥羽上皇の覚えめでたきこと等、仕官以来すべてが思いも寄らぬトントン拍子の内に起きた母みゆきの急死。さらには同じ北面の武士で兄弟の契りさえ交わしていた親友の死が相次いだのだった。うかれ人生(?)を誅されたような二人の死に、もともとあった義清の厭世感と求道心が現実のものとして我が身によみがえったのである。またうかれている間はつとめて見ぬようにしていたが、宮中における殿上人はじめ公家貴族たちの保身争いや、他方性の乱脈にも心をふさぐものがあった。男色もこのころは上皇を筆頭に公然としたものであったのだ。義清はこれにつくづく嫌気がさしていた。絹二千匹を献上さえしてはたした左兵衛尉への仕官だったが、この宮仕えという世界にはや辟易としていたのである。しかしそれならば義清おまえこそ、余人が思うことさえ禁じていた阿漕の浦を、現実に仕出かしてしまったのではないかと人から云われそうである。確かにそうなのだがしかし義清にはうまくは云えなかったがこれをして一大謀反、おのが性欲からの大失態だったとはどうしても思えなかった。「知らざりき雲居のよそに見し月の影を袂に宿すべしとは」とみずから詠んだごとく、璋子は自分にとっては中空にかかる月で、とどかぬもの、いわば天女、あまつおとめだったのである。その天女とうつつにまじわるとはどういうことか、男として、いやあえて云えば求道者として義清は稀有の体験をしてみたかったのだ。
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