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天女と人間の睦み、あこがれ(=理想)と現実の合体とはどういうものか、それを確かめたかった。まして宮中における璋子への非難に義憤を感じていた身であれば、禁断の浦であったとしても密漁するに躊躇はなかった。ほかならぬその伊勢の奥院からいっときの鑑札を与えられた身であれば、である。しかしその折りはからずもそのあまつおとめから、我が身義清への同様の思いを聞かされるとは、これは意外中の意外だった。文部両道の、若き北面の武士へのつまみ食いの思いもあったのだろうが、厭世と求道に非凡なものを常々義清に見て居、これとの肉体による合一を、いわば師弟の契りを得たかったと璋子はその折り云ったのだった。蓋しこれはまさに義清の思いともども‘はたやはた’である。はたやはた、肉体による法との提携はなされ、性愛と求道、引いては地上と天上の疎通はなされるものだろうか?肉体五官(五欲)と精神の高貴さという永遠に対立すると思われるものが安易に融合するとは思われない。煩悩からの解脱をときながら夫婦(めおと)に限り性欲の発露はよしとする、わっかたようでわからない、宗教の教えにも我々凡夫は頭を悩ませ続けている。しかしそれらへの答えをここで性急に求めることはよそう。謎かけにはなろうが、魂→心→現実、あるいは真逆の現実→心→魂という、ここではいまだ謎の系譜に、つながりに、その追及と答えを求めたいとも思うからである。
とにかく、いっときはわが袂内(ころもうち)に宿した愛しい璋子へ、得子立后というかたちで宮中からの疎外がせまっていた。単に疎外のみならず得子に皇子が誕生したことから世継ぎ争いの政変にまで発展しそうな雲行きとなって来た。すなわち璋子と鳥羽の第一子である崇徳と、得子一派の争いにである。本来なら正統な世継ぎとすべき崇徳を鳥羽は‘叔父子’として嫌い、認めなかった。璋子が自分のもとに入内したときにすでに懐妊していたと思われる崇徳を、祖父白河の種として決してわが子とは認めなかったのである。祖父の子であるなら自分よりあとに生まれても叔父になる。だから叔父子である。
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