第一章 散るさくら

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権大納言藤原公実の末娘で白河上皇の養女に出され、のちその孫の鳥羽天皇の中宮となって、帝との間に五男二女、七人の皇子皇女を儲けている。彼の一大乱、保元の乱の誘い水となった女性である。史家によっては悪女とも、また不貞の君とも評されがちだが、果たして眼前に畏む佐藤義清こと後の西行法師が、ああまで傾倒した史実を踏まえれば、強ちそれを鵜呑みには出来ず、真実は必ずや中身のあった女性と思われ、むしろ彼女を巡っての白河・鳥羽による(即ち祖父と孫による)欲念と面子の争い、その犠牲者と見るべきだろう。人形のごとき美(は)しき女(め)の童(わらわ)、引いては成長して後の美貌をも見込まれて、世の覇王白河に溺愛されながら育った璋子は、いわば悲しみを知らない「幸福の王子」のようであり、のみならず、その‘養父’白河によって性愛をも全き自然のうちに摺り込まれた身であれば、その妖艶のほどは、男たちにとって抜き差しならぬものとなっていたのである。それほどの彼女ではあっても年令ゆえの翳りはやはり否めず、鳥羽上皇に接近を図る藤原北家の家成が送った若き得子(なりこ)に、今は完全に院の寵愛を奪われていた。自信強ければ失意もまた半端ならずであり、我血肉となっていた院始め男たちからの愛を失することは、文字通り自らの命を否定されるに等しかった。単に寵愛争いに敗れたというだけでは済まない、さぞやの無念がそこにはあったのである。  「ほほほ、知りませぬ。さだめし義清殿の感性強きがゆえでございましょう」阿漕の浦など知らぬ、誰ぞ手引きしたると言いた気な、後の西行法師に伍する、和歌の名手たる待賢門院堀河の返事であった。まして義清に開陳など出来ようはずもない、ただうつむくばかりである。「賢き者かな。昨今宮中の女房たちの間ではやっている、歌を詠むために恋をするという、それに似たそなたの出家ではないのか。出家とは名ばかりで、実体は憂き世を逃れて、歌詠みと遊行三昧に明け暮れたという、あの能因法師を真似るだけではないのか?和歌の名人たるそなたならば、考えつきそうなことよのう」と察しのいい、おのが鋭いところを見せて義清を驚かす璋子。まるで母の前で嘘がばれたような面持ちの義清はひとこともない。
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