第一章 散るさくら

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しかしその言葉に現(うつ)しに返ったかのようにひとつ大きくため息をついては「そよ、皇子らのことじゃ。まろは政(まつりごと)は云えぬが、崇徳始めまろの子らは決して良き目を見ぬであろう。嬰児のまま逝った通仁、君仁始めまろは皇子らが悲しゅうてならぬ。相済まぬ。義清、そなたは和歌のみか仏道にも秀でたるゆえ、どうか皇子らを見捨てずに、後の彼岸へと導いておくれ」と今度はひたすら母の立場に立って義清に、いや後の西行法師に璋子は頼み込むのだった。どことなく自らの遠からぬ雲隠れ(死)を予期したような璋子の物言いに気押されつつも「これはしたり。お付きの僧正様始め、高僧の方々こそ、その御用に応えるべき方々。いまだ沙門にさえなっていない私に、なぜそのような大事を仰せつけられるのですか。私にはとても叶わないことでございます」と応ずる他ない義清だったが、蓋しもっともな奏上ではある。しかし璋子はそれを聞くや一瞬でもカッとなって、言下に長広舌をふるうのだった。「何を云う。いつもいつも身分違いを口にしては逃げてばかり!すでに真を語り合った互いの身ではないか!?その折り始め、普段からそなたの真摯さを一番知っているのがこのまろじゃ。僧正僧都など知らぬ!宮中の者どもがこのまろを、不貞の君とか云って責めた折り、‘この世の業、男の業を一身に受けたお方である。見目よくお生まれになったのは罪か’と、たったひとりで、敢然とまろをかばってくれたのがそなただった。その男気を、誠を、いつの世もまろは決して忘れぬ。この眼前の花散りに等しい、むなしい世の姿である、一時の夢、栄華であると…それに拘泥することは愚かしいと、そう教えてくれたのもそなたではないか。それならば義清、そなたこそがまろの僧正です。できるものならこのまま身も心もそなたに託したい。それが叶わず、そなたが出家して僧侶となるのなら、いつの世もその一番弟子でありたい。そう思えばこそ、まろの身をも欲しがったそなたと、阿漕の裏をともにしたのですよ」と云っては義清が形に逃げることを許さない。この日を置けばもはや会うことは出来ないとでもするかのように、控えの間の耳もあらばこそ必死の迫りようである。
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