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「露様、ヒナタは左手に、小さな青いあざをお持ちでした」
(それがどうしたのだ?)
「もうおひとかた、そのような方をご存じありませんか?」
露は片眉をあげるような仕草をすると、しばし虚空に目を留める。軽く息を吐くと、紫に言った。
(そういえば、我が夫陽人様のお手にも、そのようなものがあったな。それがいかがした?)
言い切り、露は目をぎくりと見開いた。
(そなた今、「お持ちでした」と言ったな)
答えず、紫はじっと露を見すえる。赤い目を見開き、わずかに開いた口からは、震えた声が漏れ出した。
(まさか、ヒナタは陽人様の……?)
「……おそらく」
(何を証拠にそのようなことを!)
鎌首をもたげカッと口を開く。紫は左手を下ろすと、そばの狛狐を優しくさすった。
「今から二十年ほど前でしょうか、陽人様のぬくもりが消えたのです。今は、ずっと冷たいままでございます」
尾で紫を払いのけ、露は頬を狛狐に押し当てた。
「ヒナタ・ミカゲ兄弟がこの町で生まれたのはその頃です」
押し当てている鱗が震える。見開いた目は虚空をさまよい、恐れを映す。大蛇の震えは風を伝い、社殿を揺らす。露は金切り声を上げた。
(では何か!?私は……、私が、は……陽人様を喰ろうたと申すのか!)
紫は黙りこくり目をそらす。大蛇は尾で紫を跳ね上げた。
(答えや!)
「私の口からは……」
切れた口元を拭いながら、伏し目がちにする紫を、大蛇はさらにはね飛ばす。転がされ、社殿の柱に腹がぶつかる。うめきながらも目をやると、露はうつろな目をし、ズズ……、ズズ……、と辺りを這い回り始めた。
(私が陽人様を……!く……喰ろうて、喰ろうたと……!?)
ぴたりと動きが止まる。川の水面と溶け始めた日をじっと見つめる。目を閉じ、鎌首を腹に向けて身を縮めると、苦しそうにうめいた。次の瞬間、反動でのけぞったかと思うと、悲痛な叫び声と共に、身が光る粟粒と化した。
粟粒は雲母のようにきらめき、さっと散る。その一粒が風に消えるまで、残響は空を揺らし続けた。
宵闇が立ち始める虚空に露が完全に溶け込むと、紫は打った腹をさすりながら、ようやく身を起こした。
「あの日もこのように……、左大臣の姫君とは思えぬ、癇癪持ちでございました」
子ができたと知られ、扇で張り飛ばされたのだ。
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