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”ゆきん子”は、杉村優里の”今の”あだ名である。
雪のような美少女だから・・というのは、しかし、美しい誤解だ。
この、いわゆる昔でいうところの紀州の山奥は、冬は当然のように雪深くなる。彼女のような美少女が存在しても、何の不思議がないほどの大量の雪が降るのだ。だから、何も知らない土地のものではない人間が、それを聞けば、まさにそのように誤解するのは無理はない。
しかし、これは、それをいっている子供たちの真意をわかっていないといわざるを得ないのだ。
”ゆきん子”とは”由紀の子”という意味だったのである。
杉村優里は、父猪之吉と母槙の娘である。
父は、この紀州、大台ケ原になかなか大きな山林を持っていて、一家は世間でも評判の高い紀州木材を伊勢、津、そして名古屋のほうに提供して、財を成している。なかなか、高級高価な材木を売って、その道の目利きとして有名な材木商である。
父の猪之吉という名前は、代々の由緒ある初代の名を受け継いでの改名で。幼名は虎太郎と言った。もともとは、江戸で腕のいい大工で、杉田屋という屋号を名乗っていたが、質のいい木材を求めて遠く紀州まで足を運んだ、何代目かの猪之吉が、自分の目利きを信じて最終的に大工を辞めて材木商に転向し、現地に転居、以来、銘木育成に命をかけてきたのである。
伝説では、その転居は紀州からやってきた8代将軍吉宗の時代、吉宗直々、あるいは同じく紀州からやってきた大岡越前の依頼によって・・ともいうが、はっきりしない。
とにかく、その時代から続く名家なのは間違いないようだ。
初代猪之吉は、伝承では、かの有名な由比正雪の乱の前後に存在したという。乱の後に発生した江戸の大火で、大活躍した職人の一人、それでいい仕事をいくつもして、大きな店になった・・
しかし、それも、あまりに出来すぎた話が多く、信憑性が今ひとつ、という話も在る。
たとえば、猪之吉は、あの大火では資材をなげうって無理をしたという”美談”は、その最たるものとされる。
しかし、その大火で、最愛の娘の長女”お蝶”を失ったからといわれる。それ以来、代々娘に”蝶”とつけてはならないのが、半ば家訓になっているらしい。
杉村優里は、その家の娘である。問題なのは、彼女には年の離れた姉が居り、その名前が杉村由紀だったのである。
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