たいした恋じゃない

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 付き合っていたとはいえ、たしかに向こうには妻子がいた。堂々と言えたものじゃないが、立派な不倫になるのだろう。 「まあね。あいつの親父さん、この大学に勤めててさ。おれのゼミの先生だったんだよ」  先生、と告げた瞬間、丸美は「うっわ」と目を丸くして口を押さえた。それもそのはずだ。大学の先生と大学生の禁断の恋なんて、作り話だと思うだろう。しかも男同士だ。  だが、浮島にはそれが現実だった。ウソだウソだと恋心を否定しているうちに正一の父親である真野先生にのめりこみ、あちらも自分を好きになってくれて……気づいたら恋人同士になっていた。  そして、一年も経たずに死んでしまった。煙草も吸ったことがないくせに、肺癌だった。  付き合いはじめた頃に癌が見つかり、すぐに入院が決まってしまったので、結局浮島は真野先生の体を知らない。自分の頭や顔を撫でてくれる指と、水分のないカサカサの唇しか、真野先生を知らない。  ラーメンと中断されていたチョコミントを食べ終わった後、浮島は再びメンソールの煙草に火をつけた。スースーした刺激は心地いい。体の中を通り抜け、空っぽにしてくれるみたいだ。爽やかさが、何もいらない、と思わせてくれる。  煙草を吸わない真野先生が肺癌になったのに、どうして自分は毎日何本も吸っているのに、生きているんだろう。 「それもスースーするもんなの?」  正一が訊いてきた。 「まあな。吸ってみっか?」 「体に悪そうだからいい」 「バカ、体に悪いのがいいんだよ」 「悪いんだったら、よくないじゃん」 「いーの。ニンゲンやってく上で必要なんだって。悪いことってのは」  フーッと煙を顔に吹きかけると、正一はゴホゴホと咳こんだ。ははっ、と笑うと、正一はムッとして食べ終わったラーメンどんぶりを持ってシンクの方に行ってしまった。
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