たいした恋じゃない

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***  近頃は日が長くなったというのに、その日は朝から新聞紙を貼りつけたような雨模様だった。傘に落ちる雨は一つ一つ粒が大きくて、すれ違う人の声がいつもより聞きづらい。  浮島は地下一階の書架スペースで、古い文献の整理をしていた。  自治体が運営している図書館より専門的な本が多いので、廃棄にする本はそうそう出てくることはない。それでも、スペース的に何年も誰にも手にとってもらえない本をずっと置いておくわけにもいかないのだ。  そういうわけで、こうやって定期的に廃棄にする本を選ぶのも浮島たちの仕事である。  地下一階の書架に収められている本は、他の階にあるものよりもさらに専門的かつマイナー分野であるものが多い。  だいぶ昔に刊行された、この大学の教職員たちが執筆した本なんかが、まさに地下一階の大部分を占めている。 著者の教職員を知る学生でも読まないような、あまりに自己満足に近い論文集や資料、中身のない本を浮島はたくさん見てきた。  読まれない本が追いやられた地下一階は、ほとんど人の出入りがない。  ブックトラックを押しながら、廃棄に該当する図書をメモで確認しつつ、浮島は一人で書架から一冊一冊抜き取っていく。  ふと、とある一冊を抜き取ろうとして手を止めた。  それは恩師であり、かつての恋人である真野先生が執筆した『日本文学と経済』というタイトルの本だったからだ。 経済学部の教授だった真野先生は、経済学の本以外に、完全趣味の日本文学と経済を無理やり絡めて何冊も本を書いていた。  内容は評価ができないくらい意味がわからなくて、学生たちから失笑されていた。もちろん、最初は自分もその一人だった。  懐かしいな。  浮島は本を手にとり、中をパラパラとめくってみる。  真野先生は、白髪まじりの癖のある髪と銀縁の優しげなメガネが印象的で、学生から心配されるぐらい抜けた性格をしていた。 何より明るい人で、大人数を相手にする講義も、少人数を相手にするゼミでも、その印象は変わらなかった。もちろん、一対一で話す時も。  誰に対しても、どんな団体に対しても、平等に接していたからだ。
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