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室内に入ると館内の散策をした。山奥だけに夕方以降になると誰も敷地外には出ず、広々とした館内では御一人様がそれぞれに楽しむ様子がみえた。
ロビーに行くと30代くらいの女性が寛いでいた。目が合ったので軽く会釈をすると向こうから「こんばんは」と挨拶をしてコミュニケーションを図ってきた。
「どちらから居らしたの?」
「東京です」
「ここは初めて?」
はいと頷くと女性はにっこりと笑う。
「私はね、このホテル3度目なの。仕事やプライベートで悩んだり行き詰まってどうしようもないときなんかここに来るの。あなたは何故ここに?」
そう話す顔はとても悩んでるふうには見えなかった。
「僕は日々の喧騒から逃れたくて自然を求めて来たのですが、ここは心が落ち着くというか、趣があっていいですね」
「今日来られたのね」
女性はそんな三橋にここの楽しみ方を色々と話してくれた。
「ここはね、景色や室内の雰囲気が良いだけではなく、みんな自分をリフレッシュするために来てるのよ。あなたも今晩寝てみるときっとわかると思うわ。それからね」
女性は含みながら楽しそうに話す。
「ここの食事、ここで栽培されてる何とかっていう野菜があって、それがまた脳の働きにいいんだって。それでね、帰る日にはプレゼントがあるのよ」
「プレゼント?」
「そう。それもお客1人1人違うものらしいの。ホテルの支配人が何を根拠に選んでるのか知らないけど、以前私は色鉛筆をいただいたの」
「色鉛筆ですか?」
何でそんなものが? と不思議に思った。
「食事が終わって部屋に戻ったらテーブルに置いてあるのよ、箱が。でね、その頃私は就職先で悩んでいて2択で迷ってたの。2択って何だかわかる?」
「さぁ……」
「服飾系と普通の企業。それを決めかねて小旅行に出たんだけど、不思議ね。それを見透かされたかのようにこのホテルで答えを導いてくれた」
「それが色鉛筆……」
「そう。私はそれが縁かもしれないと思ってその道に進んだ。それで今は服飾デザイナーの端くれよ!」
へェ~そんなこともあるんだな、と思いつつも、その女性の不思議ないきさつを聞かされた三橋にはいま特に大きな悩みはなかった。今回はただ、働きづめの身体と精神を取り戻すための小旅行なのだから。
それでもそんな自分にも何かをくれるのだろうかと半信半疑ながら、心の片隅では小さじ一杯分の期待も少し。
女性がそろそろ戻ろうかなと席を立ったところでその場は解散し、それぞれの部屋に戻っていった。
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