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 文句を言ってもどうにもならないことを、百も承知しているから、無駄な労力を払うのを嫌ったようである。  男は、泥に汚れた着物にうんざりした顔で、表通りに出ていき、そのまま大きな店間口を構えた一軒の呉服屋に入っていった。  かなりの大店である。してみれば、男の安手の着物にぼさぼさ頭、しかも泥まみれと言う姿は、明らかにこの場にはふさわしくない身なりと言えた。  実際、居並ぶ丁稚たちも何処から見ても胡散臭そうなその姿に、あからさまな戸惑いを見せていた。  やや年かさの手代と思しき男が、丁寧に頭を下げて新吾に訊いた。 「すいません、どんな御用でしょう」  男は、構わずにひょいと畳縁に座り込み、慣れた様子で言った。 「大番頭の秀作さんはいるかい。紺屋町の高村新吾と言えばわかる筈だよ」  手代はすぐに引っ込み、五十がらみの、頭の禿げ上がった番頭が出てきた。 「こりゃあ、新聞屋の新吾の旦那、おひさしうございますな。今日は、どんな御用で?」  安い着物を着ているのも道理で、番頭を訪ねてきた男は、ここ数年乱立した弱小新聞社の一つ、武蔵日日新聞の下っ端記者の高村新吾と言う元侍であった。  この男、徳川のご時世には直参で新徴組にいたと言うから腕には覚えがあったろうに、なぜ筆で身を立てる記者をしているのか謎が多い。まあ記者と言っても、彼の勤める新聞社には社主を除けば、主筆を含め社員は三人しかいないのだが。  新吾は「実はな」と呟き、仕入れてきたばかりの用件を切り出した。 「最近、流行の百物語。その中でも、必ず怪異の起こる会を催している連があると聞いたんだが。それに、大番頭さんも参加している。そう聞いたんで、おもしろそうなんで、俺にも覗かせてもらえないかと思って、寄ったって訳さ。知っての通り、うちの新聞は黙っていても売れる名の通った新聞と違って奇をてらわないと売れない。夏と来れば怪談、それも本物の怪異の怒る話となれば、読み手も飛びつくんじゃねえかなあと気付いたのさ。だから、なんとしても取材してえなあ。なあ、頼むよよしみなんだから」
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