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序段
東京湾、芝浦にある海軍の桟橋に高村新吾は立っていた。
「このでかい軍艦を相手に戦って勝ったわけか」
そこには前年に日清戦争の勝利によって、威海衛で鹵獲された元清国海軍の戦艦鎮遠の姿があった。
黄海海戦で劣勢となり旅順港に逃げ込んだ清国海師の軍艦たちは、その旅順の陥落により威海衛に退避した。この地で鎮遠は、同型艦の定遠ともども日本海軍の水雷攻撃を受け破損したが自沈した定遠を横目に座礁し自ら沈むことも出来ずに鎮遠は生き残り、日本軍の手に落ちた。
日本政府はこの三〇センチもの巨砲を持つ戦艦を戦利品として日本に回航し修理すると、日本海軍に編入する決定をした。
日本政府は清国との戦争に先立って、この戦艦に対抗しうる巨大艦二隻を英国に発注していたのだが、この完成は戦争に間に合わなかった。結局日本は、明らかに劣勢な兵力でかろうじてこの清国の大戦艦を封じ、陸戦による勝利を足掛かりに戦争自体に勝利した。
勝利国の権限として、相応に利権と戦利品を獲たわけだが、国費は莫大に消耗し、収支的に見れば戦争で得たものはあまりに少なかった。
そんな状況であるから、海軍の増強に戦利艦をあてがうのも当然の措置と言えた。
長い時間をかけ修理を終えた鎮遠は、この日報道各社に披露されたという次第だ。
「暁斎師匠が生きておられたら、喜んで画題にしたろうな」
新吾が呟く。彼の心の師とも言うべき暁斎が他界しもう七年が過ぎた。陽射し暖かな春の日に、最期まで筆を握りしめ逝ってしまった天才画家は、何より新しいものが好きだった。新吾の命の恩人である狂斎は、己の死期を悟りながらも最後まで新吾の身を案じ続けていた。
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