闇医者

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第二地区に建っている青い光を放つタワービル。その上層階で、客用のドックにアドはハチソンを駐車した。レアを抱きかかえ、そばにあった自動ドアから入室した。  室内はビルの階層を丸ごと一室としており、夜景が一望できるように窓ガラスが周囲を覆っていた。部屋の中央部分には床から天井まで繋がった巨大な水槽が壁のように設置されている。水槽内ではリアルに作られた機械仕掛けの観賞魚が優雅に泳いでいる。目が異様に大きかったり、人間の手を模していたりと、どれも現実には存在しないであろう不気味な造形の魚だ。 簡素な手術台が水槽に囲まれるかたちで設置され、傍らには医療機器や手術道具が収められたガラス製のチェストがあった。 部屋の一角に鎮座する大型のコンテナからプラグ式のカラフルな配線が伸びている。その配線を後頭部に差しこみ、さながらファンキーなドレッドヘアーになっている初老の男が、革張りのリクライニングチェアで寛いでいる。男はホノグラム式のテレビを視聴していた。 彼は来客を一瞥するとテレビを消して、患者を手術台へ乗せるよう顎で促す。 鼻を突く薬品の臭いに顔をしかめながら、アドは投げすてるように彼女を手術台へ乗せた。 「ASPに撃たれた、治療を頼みたい」 男はレアの左肩に注目すると、 「……ASPの弾頭には蛇毒を合成し、ゲル化したものが使われている。傷の具合からみて半日は経っているが、まだ生きているということは、血清の投与は済んでいるようだな」と言った。 「ああ。正規の抗毒素血清を打ちこんでいるから、その点は大丈夫だろうよ」 「ならば毒に関しては、点滴を打つ程度で十分だろう。問題は血液を流しすぎていることと、この裂傷の処置が必要だな。毒を流すために切ったんだろうが、いかんせんやりすぎだ」 「素人なんでな。生きてりゃ十分だ」 「ふむ。さて、私のことを知っていてここへ来たのか?」 「知人に教えてもらって来たから詳しくは知らないが――名はヘンゼル・デニス、元バイオマテリアル(生体材料)の権威で外科手術を得意としている。ほかには、急患にも対応していることと、裏社会の大物を多数治療してきた実績があると聞いている」 「……そして、治療費がほかの闇医者に比べて高くつく、が抜けているぞ」ヘンゼルは言った。 「こんなところに住んでいるんだ。そりゃそうだろうな」 「前払いで、そうだな、この程度なら“拾い物”を三十枚で請けおう」  アドはアハトを抜いてヘンゼルに突きつけた。 「いや、成功報酬で二十五枚だ。腕を疑っているわけじゃないが、失敗して死なれても困るんでな。死なせた場合は、おいしい一粒を脳天に食わせてやる」  ヘンゼルは銃口を突きつけられても、その無愛想な表情を変えることはなく、アドを冷めた目で睨みつけていた。 「脅しや不利な取引にいちいち屈してちゃあ、悪党を相手に闇医者なんて続けられんよ。こちらの提示した額が支払えないなら失せな。たとえ発砲したところで私を殺せはせんよ。私の脳はあの防弾の箱のなかだ」ヘンゼルは後頭部からのびる配線のさき、鋼鉄製のコンテナを差した。「私は意志一つで警察やASPをここに呼びつけることができる。いますぐ全シャッターをおろして君らを閉じこめてもいいんだぞ」  二人は睨みあう。  短気な性格のため、アドは交渉事が苦手だった。それにも関わらず、銃を使って交渉に挑んだ。そこに〈恐喝して値下げさせよう〉という魂胆はない。いざというとき、どうやって殺害すればいいのか、敵になったときに気を付けるべきポイントはどこか、について彼は探っていた。今回、そのどちらもが相手の口から説明された。彼はアハトを仕舞って、鼻で笑った。 「そいつは勘弁だな。わかった、三十枚くれてやる」 「ふん。だったら最初からそう言えばいいんだよ。二度と闇医者を敵にまわさないよう気をつけることだ」  ヘンゼルは金を受けとり、レアの治療を開始した。 アドは待っている間、水槽の外側にあったソファに腰掛け、夜景を見ながら、彼女に対して幾度か違和感を覚えたことについて考えた。それは、初めて彼女に出会ったときから感じていたことだ。 彼女の姿はあまりにも完璧すぎた。美しく透き通った灰色の瞳、ツンとした鼻の下には、ピンク色の健康的な唇。素肌は白く、生まれたてのようにきめ細かい。いつも、黄金の長髪が光を反射して煌いていた。 華奢でスタイルがよく、まるで人工的に造られたかのような姿。一種の不気味ささえ感じる彼女の容姿は、広告に使われている3Dで造られたキャラクターによく似ていた。 さらに、彼女の鮮血は宝石のような光沢のある真紅色だった。アドはいままで殺してきた者たちの血液を気にしたことはなかったが、彼らの血はもっと赤黒い色をしていたような気がした。 若い身でありながら自身を家からバレずにつけていたことや、心理戦と戦闘技術についても不可解であり、アドはもっと彼女について知りたいという欲求に駆られていた。 最後に思いだした違和感――それは彼女に敗北を喫したときのことだ。彼女の笑顔をみたとき、彼はわずかながらも、しかし確かに違和を感じた。 その違和の正体を考えても答えはでず、あらゆる違和感を拭いさることが出来ないまま、アドは眼前に広がる光のスペクタクルを眺めていた。電子煙草の水蒸気がガラスを曇らせて、外に点在する無数の光がぼやけていた。
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