死闘

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アドは二階で柱の影に隠れ、どう戦うかを必死で考えた。はじめてガエルに会ったとき、彼を殴ることができたことを思いだす。殺意がなければ殺害の制御は行使されない、と彼は考えた。けれども、上手くそれで彼を殺したとしても、心の証明にはならないとわかっていた。苦悩する彼は、すぐ横にガエルが立っていることに気がついた。ガエルは顔を手で開閉させて、舌をだしながら笑った。まるで赤ん坊をあやすように。 ガエルの余裕たっぷりの嫌がらせにアドは思わず、彼に殴打と蹴りを繰りだした。 アンドロイドの動きを総隊長は経験からよく知っていた。アンドロイドに特殊な動きをする個体はいない。そして、ガエルはオリジナルの戦闘をよく覚えていた。オリジナルの格闘術に比べれば、アド・フェロンを模範するアンドロイドの攻撃は劣化でしかなく、単純で、つまらないものだった。 アドの攻撃は易々と防がれ、ガエルは器用な手さばきで彼の懐からナイフを奪い、驚く彼の右目に深く突きさした。彼がその衝撃でのけぞると、ガエルは即座に腕を掴んで投げとばす。彼は体勢を素早く立てなおして敵と正対した。 右目に受けたナイフは骨にまで達して、完全に視力を奪っている。アドがナイフを抜くと、溢れだした鮮血が頬に幾線もの筋をつくった。右目から発せられる痛みの信号が頭頂部にまで突き抜ける。残った左目で視線を送る彼の瞳が絶望を映していた。 「人間と戦うのは、はじめてかね? 傀儡どものパターン化された動きと違って、人間の戦い方は面白いだろう。所詮、君はAIのマリオネットだ。つまらないね。悲しいね」ガエルは言った。  アドは作戦を練る余裕も失っていた。【打つ手はない】と思考システムが最悪の答えを導きだしている。どんなアルゴリズムを用いても、最悪の答えにしかたどり着かなかった。心はどこにもなかった。生体アンドロイドSHRタイプ、管理名【アド・フェロン】には、命も、個性も、幸せも、希望も、なにもなかった。それが、必死の思いで足掻いた彼に与えられた、たった一つの答えに思えた。彼は許容できなかった。正気を司る脳デバイスが異常をきたし、膝をついて頭を抱える。「なんで、なんでだ! なんで……撃てないんだ! 殺せないんだ! なんで……」  銃を手に地面を這う。ガエルに銃を向けては人差し指の感覚に殺意を委ねる。しかし、指は動かなかった。「死んでくれ! 誰か心を教えてくれ! 誰か……助けてくれえーーーッ!」視界がぼやけ、必死に振ったナイフが宙を掠めていた。 「君には心がないんだよ。ただの機械なんだよ。誰も君を救いはしない。ロボットに感情なんかない。誰も君を愛しはしない。この都市は誰にとっても地獄なんだよ」ガエルは怒鳴って、彼を蹴りとばした。  アドは地面にうずくまって、もがき苦しむ。彼はがむしゃらにとびかかるが、もはやアンドロイドの動作と変わらない。すぐに彼は突きとばされてしまった。 ガエルは馬乗りになって、彼を執拗に殴りはじめた。溜飲が下がることはない。アンドロイドは悲鳴をあげて喚きちらしていた。 「君に奪われたものを返してもらおう」  ガエルは頭に巻きつけていた包帯をとり、穴のあいた眼窩を晒す。暴れるアンドロイドの髪を掴んで押さえながら、目にナイフを添えて、一心不乱になって刳りぬいた。そして、取りだした目で眼窩を塞ぐ。ガエルの左目には翡翠の瞳が収まった。 アンドロイドは視力を完全に失った。ガエルは疲れたようすで瓦礫に腰を下ろし、壊れかけのアンドロイドを眺める。 ガエルにとってロボットの存在は飽くなき憎しみの対象でしかなかった。彼らを人間と思い、信じていた過去の自分に対する悲しみと怒りが、彼の人間性を歪めている。彼は自分もアンドロイドだったら、どれほどよかったことかと、なみだを流した日々を送った。ロボット同士の家族ごっこ――その輪のなかに入って笑っていたかった。職場のロボットたちと組んで、マフィアロボットと戦って、思考システムを満足させたかった。心を持っていた所為で圧倒的な孤独感に苛まれることになったのだ。 「私と君は正反対だ。私は機械になりたい。君は人間になりたいんだろう? 立場が逆だったら円満だったろうに。人間もロボットも不幸なものだ……」 死体が奏でる壊れた手拍子は速度を速めて二人に拍手を送る。 ガエルの胸元で通話の呼び鈴が鳴った。 「君か。いまダンスの真っ最中だ。彼女はどうなった」ガエルは言った。 電話の相手であるフェリチアーノは、 「最悪だ。よりによって罠に嵌められてな。女をロストした。いま青いベルトコンベアでそっちに運ばれてる」と不機嫌に言った。  彼はブルーホール内でやることもなく寛いでいた。 「なるほど。ということは彼女がこっちに来る可能性もあるな。君もダンスに参加したまえ。デュエットダンスといこうじゃないか」 「趣味の悪い誘いだな。……いやまて」 「どうしたんだね」  通話していたフェリチアーノは外で並走しているレアの機体に気がついた。彼女は一瞥すると加速して通りすぎていく。 「ははは。どうやらあの女。やる気らしい。話はあとだ」フェリチアーノは通話を切って遠くの出口を見据えた。
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